「一つのことに集中しすぎると、窮屈になって鬱になる」坂口恭平
坂口恭平さんの言葉です。
坂口恭平さんは、作家・画家・シンガーソングライター等の様々な活動をされ
ている方で、ご本人も躁鬱病の症状に苦しんできたという経緯があります。
●本のタイトル
躁鬱大学
●掲載箇所
P.108
●AKERUが参考にしたこと
一般的に、「選択と集中」という考え方が自己啓発界隈では推奨されています。例えば、受験勉強をするなら部活をやめる、といった感じです。
しかし、躁鬱病の気質を持っている方にとって、窮屈であることが害だと、坂口さんは言っています。
確かに、鬱症状がひどい時は、会社の上司に嫌味を言われている情景をずっと思い浮かべたり、自分が生きている意味について永遠と考えたりすることに労力を使っていました。
そうなる前の生活を思い浮かべても、仕事が帰ったらご飯を食べて寝るだけの生活を送っていたので、生きている意味を感じませんでした。
しかし、元々ハードワーク気質だった自分には、他人から承認を得られないような、金にもならないような趣味に労力を注ぐことは罪だとすら考えていました。
だからこそ、一点集中させていた仕事面でのストレスの逃げ場が無くて、適応障害や躁鬱病になってしまったのではないかと、今になって思います。
坂口さんの教えは、先ほどの受験勉強の例えでいうのなら、躁鬱病の気質の人(本書では躁鬱人と呼んでいる)は、部活も受験勉強も恋愛も、色んなことを同時進行させる方がうまくいくということなんです。
このことを僕なりに解釈すると、多数の投資先を持つことで、人生の「リスク分散」をすること同じなんだと思いました。
仕事がダメでも、趣味が充実してたり、他に楽しみがあれば、一気にメンタルが潰れてしまうことはないのだと思います。
仕事で優秀な人ほど多趣味だったりします。そういう人は体力があるから仕事も遊びも両立できるのだと、今まで思ってました。
しかし、坂口さんの考え方を踏襲すると、遊びも手を抜かないからこそ、仕事にも高いモチベーションで集中できるのだと思います。
もしそういう人から遊びの要素を無理やり奪ったら、ストレスでダウンしてしまうかもしれませんね。
…ということで、私ごとですが、最近、体調がさらに良くなってきたので、学生時代にやっていたギターの弾き語りの趣味を再開しました。
歌も上手くなりたいので、ボイストレーニングも予約したので楽しみです。
金にならないし、誰に褒められるというわけでもないですが、そういうことに罪悪感なく集中できるなんて、正直言って人生で初めてです。
これまでの生涯(といっても30年ちょいですが)、親の目を気にしていて好きなことを我慢していたり、周りの目を気にして「カッコイイと思われたい」とか「尊敬されたい」とか、そんなことばかり考えてきました。
そのため、趣味をしていても、周りと比べて落ち込んだりしている内に、当初抱いていた情熱が消えていくような感覚がありました。
そのうち、学生時代が終わり、人材系の会社に就職して、営業数字やノルマなど、手っ取り早く自分の価値を認識できるような、誰かに承認されやすいことだけに集中するようになって、人生が窮屈になっていきました。
そんな状態のとき、異業種への転職、慣れない土地への移住、上司のパワハラ、親の問題などが一気に押し寄せ、メンタルが壊れてしまいました。
パワハラをする上司や、子どもに負担となる親についてはもちろん許容できませんが、これまでの自分の生き方にも大きな問題があったことは間違いないと思います。
それを気づかせてくれたのは、坂口恭平さんの本書でした。