AKERU

考えを整理するためにnoteを利用しています。30代前半で性別は男です。不定期更新です。

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  • エッセイ

    エッセイです。肩の力を抜いて書きます。

  • メンタルケア

    メンタルケアに関するブログ記事です。専門家ではありませんが、双極性障害の当事者として経験したり、調べたり、考えたことを自由気ままに書きます。

  • 読書のキロク

    趣味が読書なので、読んだ本の感想や、とくに気に入った部分を簡単にご紹介します。 そのまま読みっぱなしはもったいないし、後で振り返りたいなーと思ったことがきっかけです。 よろしくお願いします。

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だから、わたしは猫をなでる。

例えば、愛情不足で育ったとして。親がいつも自分のことばかりで、悲しい時に励ましてくれなかったり。条件付きの愛情しかくれなかったら、きっと愛情不足のまま大人になってしまう。その貰えなかった愛情の代わりを求めて、それを目的に生きてしまう。だけど、そんなものは手に入らないし、手に入ったとしても、その対価を要求される。絶え間ぬ努力や献身、時にはお金や時間、労力を。そうして疲れて壊れていく。 20代までは、ずっとそんな人生だった。周りに愛されたくて、顔色を伺って生きてきた。だから、そ

    • 自信を持たずに「事信」を持つ。

      私は自分を信用できない。別の言葉で表すと、「自信」がない。うまくやれるときもあるけど、ひどく怠け者になるときもあるし、失敗もたくさんする。そんな不確定な自分を信用できない。 特に自分は双極性障害なので、躁状態だと自信満々だが、鬱状態だと自信喪失どころか、生きる価値が無いと思っている。そんなジェットコースターのようなメンタルだと、自分を信用などできるはずがない。 ただ、私は自分のことを信用できないけど、「事実」は信用できると、そう考えた。自信ではなく、事信。 大抵の場合、

      • 四苦八苦と束の間の休息

        「四苦八苦」は仏教用語。人生は辛いことばかり、というニュアンスはネガティブに感じられて好きでは無かった。 だけど、最近では、むしろこの言葉に救われている。 生きていれば、思わず胃を痛めてしまうような辛いことがたくさんある。それをポジティブに考えようとしても、無理があることも多い。 「ポジティブに考える」ことが能力化されてしまうと、辛いことが起こった時に「辛い」と感じる自分が「能力不足」だということになってしまう。 決してそんなことはない。辛いことは辛いし、苦しいことは

        • 「生きるのがめんどくさい」を掘り下げてみた

          「死んでしまいたい」「生きるのがめんどくさい」 こんなことを学生の頃からよく考えていた。30半ばになった今でも、たまに思ってしまうことがある。(双極性障害なので治療中だけど) これをもっと、掘り下げたみた。 まず、「生きることがめんどくさい」とつい大雑把に考えてしまうけど、正確には違う。 実はめんどくさいのは「生きることに付随している何か」であって、「生きること」自体ではない。 「生きること」は、シンプルに「ごはんを食べて」「心臓を動かすこと」に他ならない。 何万

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          正しさの綱引きをしない(一番のアンガーマネジメント)

          自分の考えや常識と異なる世界や人間と出会ったとき、「間違っている」「狂っている」という認識を持つと、結局は自分以外の全てが間違っているように感じられてしまう。 ただ、冷静に考えれば、見方によっては、世界の方が正しくて、自分の方が間違っている可能性も十分ある。 ただ、そこまで客観的に判断できる人は少なくて、結局は自分の考えを支持する似たような人達ばかりで群れたり、都合の良い情報ばかりを収集して、「自分の考えが正しい」という思いを強めてしまう。(SNSは顕著。) 一方で、そ

          正しさの綱引きをしない(一番のアンガーマネジメント)

          対人関係の悩みについて

          対人関係の悩みの根底には、その「相手」への過度な期待がある場合が多い。 例えば、相手の言葉遣いが冷たく感じられた時。 「そんなに冷たい言い方しなくていいのに」 「私が悪いのかな」 そんな風に悩んでしまうと、精神的に辛くなってしまう。 そして、そんな時は、自分が優しくされることを期待している。 (大抵の場合、それは無意識に) 一方で、他人に優しくするかどうかは、その他人の自由だという事実がある。 法に触れない限り、それを罰する資格なんて、誰にもないはず。 もちろん、「優

          対人関係の悩みについて

          「生きていてもつまらない」を掘り下げてみた。

          鬱っぽいときは、つい「生きていてもつまらない」と思ってしまう。それについて、ちょっとだけ掘り下げてみた。 まずは、「そもそも人生が楽しいものっていう認識が間違ってるのではないか」ということ。人生に期待をしすぎなのかもしれない。(いったい何を期待しているんだ。)「人生は楽しい!」「人生は楽しまなきゃ!」という「正しさ」が前提にあるから、人生を楽しめない自分のことを責めてしまうのではないだろうか。 実際、SNSに限らず、他人の様子を見ていると、人生が楽しそうに見えてしまう。し

          「生きていてもつまらない」を掘り下げてみた。

          躁鬱病の辛いとこ

          躁鬱病と診断されてだいたい3年経つ。何でもかんでも病名を付ければいいってわけじゃないけど、確かに自分の行動やそれによる失敗を振り返ると、かなり妥当な診断だとは思う。 躁鬱病の辛いところは、二重人格なんじゃないかってくらい、テンションや考え方が変わること。この前までは100点だと思っていた考え方が、ある時には0点になったりする。どんな夢や目標を描いても、数週間〜数ヶ月後には気持ちが冷める。たぶん、普通の人の何倍も挫折がある。けど、躁のタイミングでは活力が200%くらいあるので

          躁鬱病の辛いとこ

          労働とやる気

          仕事や勉強にやる気が出ないとき、そんな自分のことを、つい責めてしまうときがある。 ただ、よくよく考えたら、やりたくないことに、やる気が出ないのは当たり前。だから、そんな自分を責める必要がない。 かといって、「やりたくないから、やらない」という判断が必ずしも正しいわけでもない。やらなければならないことも、現実にはある。 例えば、会社で仕事をする場合、やりたくないことが多い。どんなに好きな仕事でも、一定程度はやりたくない業務が占めている。それでも、給料を貰っている以上は、そ

          労働とやる気

          努力できない理由

          自分が自分のことを虐めずに、「ありのままの自分」を受け入れるということが大切なのは間違いない。何の条件もなく、ただ存在しているだけの自分を大切に思う技術は、幸せに生きるための秘訣かもしれない。 この技術があれば、他人から評価されようが、批判されようが、さほど気にならなくなる。だから、失敗を恐れなくなるし、何事にも挑戦することができるようになる。つまり、失うことが怖くないという無敵モードに入ることができる。 例えるなら、自分が自分を受け入れた時点で1台目の車が手に入ったよう

          努力できない理由

          罪悪感なんて、いらない

          罪悪感があると、自分に罰を与えようとしてしまう。楽しいことをしてはいけない、好きなことをしてはいけないと思ってしまう。 例えば、わたしは長い間、生きていることに罪悪感があった。幼い頃から、母親は常に不機嫌で、夫の悪口ばかり言っていた。なぜ離婚しないのか質問すると、あんたたちがいるからね、と答えた。それ以来、母親は自分がいるから不幸なんだと、生きることに罪悪感を抱えていた。(今では、それは勘違いだったと気付いている。) そのため、好きなことをしたり、やりたいことをやろうとす

          罪悪感なんて、いらない

          何度も辛い過去を思い出さなくてもいい

          昨日と今日、体調が悪くて会社を休んだ。4日ほど前から少し希死念慮があって、微熱もあった。双極性障害なので、体調に波があるのは当たり前だし、冷静にとらえている。 ただ、一個だけ気になったのは、体調が悪くなるたび、過去に嫌だったこと、辛かったことを思い出してしまうということ。私の場合、会社でパワハラにあったことや、母親から長年、父親や義祖母の愚痴を言われ続けたことなど。 その度、フラッシュバックのような感じで、嫌な気持ちが蘇ってしまうので、余計に体調が悪くなる。まさしく二次被

          何度も辛い過去を思い出さなくてもいい

          自分を変えるということ

          何か辛い経験をしてメンタル疾患になったとき、ときには自分の考え方や環境を変える必要があることもある。 そんなとき「私は悪くないのに、なんで私が変わらないといけないの?」という拒絶反応が、ふつふつと湧き上がるのは、別に変な事じゃない。 ただ、その拒絶反応に身を委ねて何もしないのは、少し問題かもしれない。 例えば、泥棒に侵入されて、お金を盗まれたとする。 本来であれば、泥棒が心を改めて、考え方を変えなければならない。それが道義的には正しい。しかし、馬の耳に念仏というように

          自分を変えるということ

          親のこと、死にたい気持ち

          自分が本当に辛い時、親は自分のことを支えてくれなかった。父親は子育てに無関心で、母親は自分自身のことにばかり固執していた。 いかに自分が辛くて不幸かを、いつも子どもの私に対して話していた。「あの人と同じ墓にはいれないで」と小学生の自分に何度も言ってきた。(あの人とは、夫のこと。)大人になってからも、電話越しに何度も死にたいと口にしていた。その度に励ますことに時間を取られた。残業終わりの駅のホームで何本電車を見送ったかわからない。 ただ、今になって思うのは、私自身、子どもの

          親のこと、死にたい気持ち

          辛い経験をしたって、別に誰かの役に立たなくてもいい

          生きていれば、辛いことや苦しいことがある。特に理由もなく、偶然に災難が降りかかることもある。ストレスの多い世の中なので、精神疾患になってしまっても不思議ではない。 私自身、色々あって双極性障害と診断され、2年ほど休職した経験があり、現在も月一回通院している。精神科はいつも混んでいるので、いかに悩んでいる人が多いかがわかる。 自分自身、そういった経験を経て、お金も時間も会社での立ち位置など、多くのものを失った。一方で、ストレスを抱えにくい考え方など、得たものもある。 一時

          辛い経験をしたって、別に誰かの役に立たなくてもいい

          「役に立つかどうか」だけで世界を判断しない

          役に立つか、役に立たないか。そんな物差しで世界を見ると、役に立たないことを問答無用で無価値だと判断して捨ててしまう。 もし自分自身が、役に立たない側の分類だった場合、自分のことさえも無価値だと判断して、捨てようとしてしまう。 ただし、世界にはいろいろな物差しがある。 たとえば、私は猫を飼っていて、つい猫のおひげを集めてしまう。なんの役にも立たない。それでも集めるのは、なぜかというと、猫のおひげが「好き」だから。 もし役に立たない、という物差しだけを信じて、猫のおひげを

          「役に立つかどうか」だけで世界を判断しない