エッセイ『いじめサバイバーとして書く夏』
私にとって、夏は特別だ。あついあつい夏、毎年、胸がしめつけられる日がある。広島に原爆が投下された日、長崎に原爆が投下された日、そして終戦記念日。戦争体験者がどんどん亡くなってゆく、被爆者もどんどん年老いてゆく。修学旅行の行き先が広島や長崎ではなくなって、ディズニーランドや海外旅行になってゆく。これではいけない。私は二十代前半の時に、危機感を抱いた。
いつの時代も、どこの世界でも、戦争は終わって、またとこかで始まる。でも私は決して諦めたくない。戦争はなくならないけど、なくならないからこそ、平和のために声を上げ続けなければならない。
私は無名のアーティストとして、現代詩や画像加工をしている。そして原点を忘れないために、毎年、夏は戦争や核兵器をテーマにした作品を書くと二十代に決めた。それから二十年くらい詩を書き続けている。SNS などで、デザインした画像と詩を発表している。『噛みきれなかった舌』で戦争を語り継ぎたいから、『死にきれなかった命』で色んなひとに伝えたいからだ。
私は中学の時に、いじめにあっていた。男子から『ブス』だとか『暗い』だとか『デブ』だとか罵られ続けて、蹴られたり嫌がらせを受けた。毎日、痣ができて、唇を噛みしめて、強気に言い返したり、抵抗した。でも心は毎日、悲鳴を上げていた。今日こそ、屋上から飛び降りて死のう、とか、もう、ダメだ、今日こそ、限界だ、と心が軋んでいた。
でも誰にも弱い部分は見せられなかった。親にも友達にも教師にも相談できなかった。私はノートに本音をぶつけ始めた。最初は酷いものだった。今でも保存してあるが、読むと号泣する。今もこれを書きながら、号泣している。涙でよく画面が見えない。でも今回は自分の体験をどうしても書いて、未来につなげたいと思った。そしてもし今、戦争を知らない人や、いじめで死のう、としている人がいるなら、どうか読んで欲しい。
二十代は詩で評価されたら、自分の存在を肯定できると信じていた。ひたすら書き続けて、現代詩手帖やユリイカにも掲載された。でもプロにはなれない。
一度、入院した。退院後、ようやくありのままの私を少しずつ好きになれた。大切な言葉は、自分の外側ではなく、自分の内側にあった。最近、ようやく生まれてきて良かったと思えるようになった。だからあなたもどうか生きて。
Photo:Unsplash
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