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掌編小説『サボテンと灯台』

『はい、ちーず』
『”ずっ”て言うたらあかんやん』
『はいはい……ちー』

 英語のcheese の発音の良さと笑顔は比例する。日本語の”ちーず”だと、語尾のず、で終わるので、ふて腐れた顔になってしまう。チーズを食べ損ねたねずみみたいに。
 頬に墨でばってん書かれた子供の頃のお正月の記憶が蘇る。羽根つきで負けてばかりで、顔をバツだらけにされた。あの頃、お正月は一大イベントだった。お雑煮におせち料理、ご馳走にお年玉。そして子供同士で、お年玉の額を競い合ったものだ。
 もうバツイチのアラフィフにもなると、のんびり寝正月で、あんまりお正月感がない。ぼーっと騒がしいテレビを横目に炬燵こたつにもぐる。することと言えば、せいぜいSNS映えする写真を二、三枚撮るくらいだ。

『そういえばチーカマ食べたいわあ』
『買ってきて』
『誰?』
『言いだしっぺがいい出汁を出すんや』
『は?記憶にございません』
『ちーっ、ずるいなあ、いつも俺がパシリやんか、今度、おごれよ』

 気まぐれ猫のアクセルはいつも急に加速する。あかりとは同じ芸大の哲学サークルの仲間だった。ある日、あかりが失恋して、酔った勢いで身を重ねた。でもきちんと付き合うことはないまま、お互いに別の相手と結婚して、それぞれ離婚した。子供たちは独立したし、親とは死別したし、特定の相手がいないので、何となく正月は一緒に過ごすことになっている。

『私ら、何で生まれてきたんやろ』
『……』

 いつもアンニュイで、遠くを見ながら、哲学的な独り言を言うあかり。返答に詰まり、頭を搔く俺。真剣に答えると、茶化されるし、俺が茶化すと、あかりは怒りながら、泣きそうな顔をする。俺が振り回されてばっかりで、でもあかりのことは危なっかしくて、放っておけない感じがする。猫に惚れた中年親父の弱味ってやつだ。
 俺の一方的な片思いは、30年越しになる。今年こそ、今年こそ、と思いながら、また寝正月。俺の春よ、来い、早く来い。静かに俺の胸で眠るあかりを見つめながら、神様に祈るような気持ちで念じる。もしかしたら眠れる女神様なのかもしれない。
 
 窓際に置かれたサボテンが枯れかかっている。比較的、栽培が簡単だと言われているサボテン。なのに俺はサボテンに水をやりすぎて、根を腐らせてしまった。
 あかりの赤いネイル、サボテンの棘がちくり、俺の胸を刺す。サボテンは日に日に萎れていって、でも捨てるに捨てられない。これは愛情なのか、愛着なのか、判別できずにいる。サボテンにはあまり水をやってはいけない。過ぎたるは及ばざるが如し。

『ふああ、今何時?なあ、ミネラルウォーターくれへん?』

 あかりが眠たい瞳を擦りながら、呟いた。俺は重たい身体を起こして、冷蔵庫を開ける。あかりは昔から、浄水器よりも、ミネラルウォーター派だ。背中に注がれる視線を感じながら、キャップをぐいっと捻る。

『プシュッ』

 俺のサボテンよ、美しいミネラルウォーターをやるから、はやく目を覚まして、あかい花を咲かせてくれ。
 もう何年も油絵で裸のあかりを描いていない。また明日から正月は終わり、生きてゆくための仕事が始まる。

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未来の味蕾
サポートを頂けたら、創作、表現活動などの活動資金にしたいです。いつか詩集も出せたらいいなと思います。ありがとうございます!頑張ります!