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朝活古典:菜根譚

昔の人が「人に厳しすぎてはいけないよ」と残しているのは、
「自分にとって大事な協力者さえいなくなっていしまうから、気をつけてね」
と、伝えたいからだと思います。

「厳しくするのが、愛情だ」「厳しくしないと怠ける」
という意見はあります。

しかし、人それぞれに育ち方があるのに、一律に厳しく当たるのは、愛なのでしょうか?

厳しく当たったからこそ逃げ道を探すようになって、怠けているように見えているのではないでしょうか?

確かに、集団生活をしていくうえでは、ルールを守ったり、みんなで働きやすい仕組みを共有していく必要があります。

ルールを守れない場合は、注意が必要でしょう。

しかし、自分が思うがままに人を動かせないことへのイラ立ちは、早々に気づいて、改めたほうがよいてしょう。


コラム
僕が小学校5年生の時の、男性担任の話です。
彼は、自分の正義感を振りかざして、モラハラをしていることに気づけない人でした。
生徒が書いた漢字が汚いと判断したら、わざわざプロジェクターに映して、悪口を言う。
掃除をサボる生徒がいたら、机やドアを蹴って、恐喝する。
担任が嫌で学校に行かなくなると、学校の個室で呼び出し、自分の教育論を語る。(←僕がされたこと)
教師のハードワークを知っている今だからこそ、常に交感神経のスイッチがONになっていたんだと思います。
でも、やって良いこと・悪いことがある。
教室からは、僕を含めて、1人また1人と不登校者が出ました。
厳しく当たれば、強い子になると思っていたのでしょう。
結果、自尊感情を傷つけられた子が生まれただけでした。
僕は、絶対に彼のようにはなりたくありません。

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