
言葉を超えて
最近、言葉を超えて感じたり伝わったりするようになってきた。
私は頭でっかちで「あの人こう言ってたな」というのを記憶して、それに合わせて行動しがちだった。むちゃくちゃ単純。その人が言った言葉や行動が本心なのかどういう意図なのかは理解せずに、その言葉通りにしか判断しない。そんなところがあった。
ほぼ週一で受けている佐伯真有美さんことONIさんのオンライン「ありがとう瞑想」で、日本語という言語を捨てて擬音語だけで喋り続けるという遊びをすることがある。言葉という概念を無くして思考を無くして感性のまま右脳だけで会話する。最初は「いきなりそんなこと言われても!」と思って「ラララララ」とラを羅列するだけだった。だけど回を重ねていく中で、自分の口からまったく意味がないわけわからん擬音語が溢れ出てくるようになって楽しくなってきた。
言葉がないから表情や身振り手振りも使って全身で伝えようとする。すると、お互い擬音語でまったく意味がない音を発してるのに不思議と何か伝わり合う。そんな言葉に縛られない感性の世界を体感すると頭が軽くなって、擬音語タイムが終わると何だか言葉を頼らずに感じたり伝わることが増えていく。

そんな擬音語遊び(アホん語と命名)をやり始めてから、興味深いことが起きた。
私は入居型高齢者介護施設で働いている。私の配属されているユニットには、頭はしっかりしているのだけど立ったり歩いたり出来ずにリクライニング車椅子とベッド上での生活を送る利用者の方がいる。仮にOさんとしよう。Oさんは恐らく本来は愉快な人で、たまにひとりで♪ジャンジャカジャンジカ言って歌ったり、機嫌がいい時はよく笑ってる。だけど最近「何でこうなったんやろなぁ」と悲しげな顔で呟くことが増えた。
身体が動かないから硬直してきて痛みがある。知識として分かるのだけど、その痛みを私はわからない。喉に詰まることが増えたから食事形態はムース食。むろん普通食と比べたら美味しくない。食べることが好きだったOさんにとって悲しいことのひとつでもあるだろう。身体の痛みを和らげる為にも食事や水分を摂ることは大切で、でもそんなに食べたくないOさんに「食べないと!」と言って頑張らせて食べさせるのも何か違う。そうモヤモヤしながらも「少しでも食べてもらえたら…」と食事介助を行っていた。
そんなある日、他の職員がOさんの食事介助を行っている際にたまたま近くを通りかかった。何の気なしに「Oさん、こんにちは!」と声をかけると
「ヒュゴヒュゴヒュゴ!」
と、Oさんが言った。「口になんか入ってるのかな?」と思ったけど違う。「!?」という顔でOさんを見ていると、また「ヒュゴヒュゴヒュゴ」と言う。「なんかヒュゴヒュゴ言ってる!」と思ってボンヤリしてたら、「こんにちは!! これならわかるんか!」と大きな声で言われて驚いた。
たまたまなのか? アレは擬音語なのか? 何か話そうとして擬音語に聞こえただけなのか? 私なら擬音語で伝わると思ったのか? あれはいったい何だったんだろう。
それからしばらくしてこんなことがあった。職員が食事介助してる際、Oさんはあまり食べずに職員に何かを一生懸命に伝えようと話していた。だけどOさんの言葉は聞き取りにくくて伝わらず、悲しそうな顔をしていた。食事介助が終わって職員が席を外したのを見計らい、うなだれていOさんに近寄ってみた。私の顔を見て、やるせない顔で何かを訴えるOさん。しかし何か言おうとしてもモゴモゴして言葉として聴き取れない。「こういうこと?」と確認してもまったく違ったみたいで、Oさんは顔を横に振り涙ぐんでいた。
ふとヒュゴヒュゴ言ってたOさんを思い出して擬音語で関わってみようと思った。言葉で伝わらないんやし、たまたまかもしれないけど擬音語で話しかけられたし。幸いマスクしてるから、他の職員には何言ってるのかはわかりにくい。Oさんがよく歌ってる「ジャンジャカジャンジャカ」で話しかけてみた。するとOさんもジャンジャカジャンジャカで返してきた。少し笑顔になって、他にもよくわからない擬音語を話すOさんに同じ擬音語で返すと、Oさんはどんどんノッてきて、いろんな擬音語を話し始めた。しばらくOさんが話す擬音語と同じ擬音語を言い返して、背中や肩や腕に触れながら遊んでると、Oさんは涙を流して喜んで、笑いながら「面白いなー」と言った。
Oさんは戦時中に満州に兄弟と住んでいた。苦労しながら日本に帰って来て世帯を持ち、満州で覚えた料理を家族に振る舞ったりもしていたと聞いた。
今、目の前にいるOさんは寝たきりで言葉がハッキリ聞き取れない高齢者かもしれない。だけど、楽しかったこと、辛かったこと、がんばってやってきたこと、誰かを想ってきたこと、その人が生きてきたそんな人生の背景がある。言葉では伝え切れない人生の重みがある。残された時間は短く、身体を自分で動かせなくなって、言葉でハッキリ伝えられなくなった人は諦めて生きるしかないなんて、私は嫌だ。
ならば言葉なんて超えていけばいいんだ。アホに見えるだろうし、実際に介護現場や介護課程に「言葉が伝わりにくい方には擬音語で話しましょう」なんて書いてある訳がない。でもそれで目の前のOさんの目が輝いて笑いが込み上げて、ひとときでも楽しい時間が過ごせて、何か伝わった気持ちになるなら、アホになって一緒に擬音語で話そう。
言葉は大切。
だけど言葉に縛られて見失うこともある。
言葉は自分の中に湧き上がった想いを伝える型に過ぎない。
大事なのは、言葉に込めた想いを伝え合えること。
擬音語で遊ぶ中で、知らず知らずのうちにその本質が理解できるようになれた気がする。
心は言葉を超えてゆく。
言葉を無くした擬音語でそう気づいた。同時に、心が伝わる言葉を使いたいと思った。心を乗せてふんわりと優しく届く言葉を使えたら。
言葉が好きで、文章を書くのが好きだからこそ、それを忘れないでいよう。
宣伝の為に文章を書いた訳ではないのだけど、ONIさんを神戸に招いて遊ぶ会を主催します。
他にもONIさんとアホん語で遊べる会が奈良でありますよ。
気になった方は気軽にオンラインでも受けられます。
いいなと思ったら応援しよう!
