【読書記録】ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」
文学を学んでいないから、ちゃんとした文章の書き方も、おさえておくべき古典も知らない。
ブックオフでそれっぽいオーラを出してたら「さては古典やな」というのが僕の文学に対する姿勢です。
だから英文学で重要な、ヴァージニア・ウルフという方も全く存じ上げず…。
すごく良かった。
今思えば、ドストエフスキーを読んでたときは無理してた。通好みとされてる音楽や味付けを、わかったフリじゃなくて、
「あ!これ好き」と思ったし、小説を読んでる充実感があった。
ふつうの小説だと主人公の行動と心理描写を描いて、ほかの人は見える範囲での行動を書くけど、「灯台へ」はみんなの気持ちまで章をまたがずに流れるように書く。
カメラアングルが人の周りを動くだけじゃなくて、人の内部にまで入っていく感じ。
それが最初は読みづくて、序盤でしばらく他のことやったりもしたけど、途中から映像化不可の「小説を読んでいる実感」に変わった。言葉選びも詩も美しくて強い。
夫婦とこどもたち、無神論者の男、絵を描き続ける女性。みんなにちゃんと過去があって、人間くさい。
誰かが言葉を発したら、相手は「こいつ、こう思ってるんじゃないか」と感じて返事して、また相手が「こっちにはこういう過去があるから言ったのに」と考えて言葉を返す。
作者のつごうよく動かされるんじゃなくて、みんな人間として本の中で生きてる。
威圧的で子どもっぽい父がいて、従うしかない子供や婦人が描かれる。
絵を描く女性にかけられた「女に絵は描けない」という呪いの言葉がある。
ヴァージニア・ウルフはフェミニズムの始祖みたいに語られるらしいけど、男女限らず「言い返せない人たち」の味方だ。
強者にでかい声で命令されると「はい」しか言えなかった人たちの中身を描いて、ちゃんと人間にしてくれて肯定する。
みんなが集まって会食を楽しむ場面は、何も起こってないのにたしかに盛り上がりがある。
ひとりがスープのおかわりを頼む。主催者側のひとりが傲慢だと思う。それをまた察して声をかける。その様子をみた一人が違うことを考える。何ごともなく進行しているけど、それぞれが別のことを考えてギクシャクした様子を小説にしかできない自在なカメラワークで描く。
その面白さを「わかる」自分がうれしい…。
序盤だけ、しおりに使うふせんに登場人物のメモをしたら、話じたいはややこしくないのでスイスイいける。
そして最終章のまえに、直接描かれない戦争がある。
人の数がちょっと減って会話の内容も変わる。
これが悲しい。
一章では、おじさんたちが好きな作家の話をしているのをあきれ気味で聞く夫人、だったけど、戦争で芸術どころじゃなくなって、好きな本の話ができただけで恵まれてたことに気づく。小説世界に厚みがあるから、いろんな見方ができるし、誰目線で読み解くかで世界が姿を変える。
最後まで絵を描き続けた人がいるんだけど、その姿が作者と重なる。
何年も途中で止まっていた絵が、ふとしたことで完成に近づくんだけど、それって絵じゃなくて小説の執筆で起こりそうじゃないですか? というのが僕なりに気づいたことです。