旧三日市交番と旧三日市代官所跡
河内長野の中でもオールドタウンという言葉に相応しい三日市町。ここに宿場町があったことはこの前紹介しましたが、このほかにも代官所跡や交番跡があり、じっくり見るとなかなか面白いです。こちら三日市町シリーズの続編。
天見川の北のほうに行くとこちら三日市村役場跡を見つけました。
三日市村は 1954年3月30日まで存在しました。翌4月1日に長野町、高向村、加賀田村、天見村、川上村と合併して河内長野市になったので、消滅します。そのときまでの役場跡とのこと。しかし横の立て看板を見るともっと歴史があることがわかりました。
村役場の前には三日市代官所があったそうです。楠木正成の子孫が代官を務め、また幕府の代官所として明治時代まで存在したようです。
代官と言えば、時代劇で豪商と組んで地域の農民とかに悪いことをする悪役のイメージがありますが、すべての代官がそんなはずありません。さてここにはどんな代官がいたのでしょう。
この代官所のすぐ近くにあるのが、こちらの旧三日市交番。役場・代官所跡と違い、こちらはしっかり建物が残っていました。河内長野指定文化財とのことです。
紹介文を読むと12坪ほどの建築面積を持つ2階建ての建物。大正10年に建築されて、昭和27年に修理されたそうです。本当は内部も見学できるようですが、今は臨時休業で非公開。その理由は、お察しください。
(いつか公開されたら見に行きたいですね)
さて、旧三日市交番から奥に立派な寺院がありました。浄土真宗の真教寺とあります。門が開いていて、入っても良さそうなので覗いてみました。
境内に像がありました。親鸞像です。河内長野は真言宗系の寺院が多いので、空海の像を見る機会が多いからでしょうか? 親鸞像は少し珍しい気がしました。
その真教寺のすぐまえにこういう倉庫があります。「北部」とありますが、これは地車車庫。河内長野を散歩していると、ときおり見つけられるものです。引っ越して5カ月弱。まだ祭りの時期とは重なっていませんが、そのときになると、さぞかしにぎやかなのでしょう。
また少し歩けばこういうスポットもありました。
今日紹介したところはそれぞれが本当に近く、位置的には天見川(地図上は加賀田川)の少し北側くらいです。
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