河内長野に大仏が存在する?
河内長野に住みながら、河内長野や周辺の南河内の情報を日々提供しています。実は今回、河内長野に大仏が存在することを突き止めました。大仏といえば奈良や鎌倉、あるいは牛久の巨大大仏を連想します。しかし本来大仏とは、立像で高さが一丈六尺(約4.85m)よりも大きなものを大仏と定義されているようです。
情報をつかんでもまさか河内長野に大仏と思っていましたが、河内長野駅から少し歩いていたらこのように本当に大仏を見つけてしまいます。ということで立ち寄ってみることにしました。
下から後姿を見上げるだけでも迫力とインパクトがあります。
入口がありますが、看板が少し剥げていました。これは「河内錦渓大佛」と書いているようです。
坂を登りきったところにある石碑。河内長野は高低差が激しいので、どこに行っても上ったり下りたりが多いです。石碑には「三笑槁?」と書いていました。よくわかりませんが調べると、中国の「虎渓三笑」とか出てきましたが詳細は不明です。
反対方向を見ると寺の入り口がありました。この寺の正式な名前は「極楽寺」です。そして併設して錦渓幼稚園がありました。宗教施設に幼稚園はつきものですね。
これは門のすぐ右横にありました。車の進入禁止の木札と石のほうは「不許葷酒入山門」と書いてあります。酒の上の字「葷」は、五葷(ニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガ)のこと。これらは修行の心を乱す存在ということで、持ち込みを禁止しているという意味のようです。
境内に入りました。大仏が正面を見ています。
納骨堂の役目を果たしている台座部分を除いて大仏だけの大きさは3メートルほどだとか。確かに奈良や鎌倉と比べると小ぶりですが、それでも実際に見れば十分大きく、大仏の名に恥じるものではありません。
改めて正面から見ます。大仏の手は大日如来や釈迦如来坐像でよくみられる定印(じょういん)という印相(手のジェスチャ)とのこと。
さてこのような石板を見つけました。肉筆をそのまま板にしたために少し読みにくいので、全文引用してみました。
河内の大佛さん
大きくなりたいと願い、大きくなれよと励まされる。人の世の励みを喜び、でも人の世は逆に流されるのか、年毎に小さくなってゆく。フト願えってみる。大きいとは、と。この小さい私が無限の支えに抱かれていると気づく。大きな懐に抱かれていると思い返した瞬間、安らぎと感謝の思いが湧いて出る。この時、ここに、大佛さんがお姿を見せて下さる。南河内の錦渓山に、又、大佛さんが、誕生して下さると聞き、喜びがこみあげてくる。大佛さんを仰ぐだけで人のこころが明るく、ほほえましくなる。-奈良の大佛から河内の大佛さんへー
昭和五十四年正月元旦
貳百八世東大寺別当 谷照記
ちなみに最後の東大寺208世別当は清水公照という人です。大仏つながりということで。東大寺のトップからの文章だったんですね。
別の角度から。大仏の前で鎮座している小さな像も気になります。
こちらは極楽寺の本堂です。これは融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の寺院で、浄土教の宗派。平安時代末期に天台宗の僧だった良忍が開きました。総本山は大阪市平野区にある大念仏寺。
錦渓山・極楽寺の歴史は古く、聖徳太子の時代にさかのぼります。推古天皇の病気になったときに、太子が平癒のために祈願しました。杉の根元に湧く霊水で天皇が回復したことから、太子が薬師如来を彫刻。それがこの寺院の本尊で、同時に開基したとされています。
その後1321年に、法明という融通念仏宗の僧により再興されています。大仏がいつ作られたなどの記録・情報は見つけられませんでした。
ちなみに境内を出たところは高台になっています。すぐ隣に南海高野線の線路を見下ろせました。この先にあるのが河内長野駅。ここまで徒歩で行けるので、気になれば訪問してみることをお勧めします。
錦渓山・極楽寺
住所:大阪府河内長野市古野町12-1
TEL:0721-52-2119
境内自由:8:00~17:00まで開門
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩7分
寺のWebページなどは、ない見込み。経営している錦渓幼稚園はこちら
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?