高向玄理 ~聖徳太子に選ばれて隋に渡った河内長野・高向地域に住んでいた人~
つい先日ですが、河内長野に引っ越しする直前に一度行ってから、市内にあるのにもかかわらず長く行っていなかった地域に行ってきました。それは高向(たこう)というエリアです。(ちなみに河内長野市内は意外に広く、まだほとんどの所に行けてません)
この辺りはその気になれば歩いても行けますが、結構時間がかかるのと、夏場で暑いと思ったので、河内長野駅からバスに乗りました。
こうして向かったのは高向地区にある「奥河内くろまろの郷」。これは前回訪問したときの記事があります。
バスを降りるとこういう目印。実はこの日、花の文化園など1日かけていろいろ回ってきました。それは例のごとく数日に分けて紹介します。今日はその前に、この高向地域に由来する歴史上の人物を紹介しましょう。
それはこちらです。これはくろまろの郷にいる「くろまろくん」と呼ばれるゆるキャラ。先日も紹介しましたが、河内長野には「モックル」というキャラクターがいますが、それとは別にこの地域に存在します。
この時期を意識してか、目の前にオリンピックをイメージした五輪のモニュメントが掲げられていました。
そういえば数日前にこちらツイッターが、流れていましたね。
さて、この「くろまろくん」とは、実在の人物がモデルになっています。それは高向 玄理(たかむこ の くろまろ)という人物で、飛鳥時代の学者。黒麻呂(くろまろ)と言う名前と記されています。
歴史を確認すると、高向氏は中国・魏の文帝の末裔を称する渡来系氏族で、応神天皇の時代に渡来したとあります。そして現在の河内長野にあった河内国錦部郡高向村を拠点にしたとのこと。
さらに聖徳太子が小野妹子を大使として隋に遣隋使を送る際のメンバーに太子が玄理を選んだとあります。こうして推古天皇16年(608年)に南淵請安や旻らと共に隋へ留学するのですが、その間に、隋が滅んで唐が建国されました。
やがて日本で大化の改新が始まると新政府の国博士に任じられます。そのあとは遣新羅使として朝鮮半島の新羅に赴いて活躍しました。晩年は遣唐使にも参加。大使よりも格上の押使(おうし)として唐に行き、その地で没したとあります。
キャラクターなので愛らしい顔になっていました。それにしても「くろまろの郷」という道の駅の名称になることで、このような人物か古代の河内長野地域にいたことを知ったのです。またひとつ勉強になりました。