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寺ヶ池鎮守・福神弁財天と寺ヶ池水利組合の碑

 数日前にこのような記事を書きました。今日はその続編です。実は前回の記事では地図上で、寺ヶ池鎮守と書かれていたたものを紹介したのですが、調べると、どうもそれは違うようです。実際には隣にある小高い丘の上に鎮座している、福神弁財天こそが寺ヶ池鎮守と言うことがわかりました。

 と言うわけで、池への散歩のついでに寺ヶ池鎮守をもう一度見ることにします。いわゆる池の半島部分でもある弁天山広場に来て、この前とは違う方に歩いてみると、最初にこちらの石碑を見つけました。

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 石碑を見ると寺ヶ池が開発されて330年を記念したものでした。刻まれている文章を引用します。

築池開発三百三十年記念
維持慶安初年中村祏和翁は農家待望の新田開発寺ヶ池造築の大業を企図し関係有司に謀り水脈滝畑堰の源流を注ぐ計画成り膳所藩主石川主殿頭に厚志を誓告願い衝く遂け夫れより郷人と共に千辛万苦し池築開拓水路等の難工事に精励了に百十五町歩百十四万平方米の畑地美田と化す総事業完成は慶安二年なり山丘に福神弁財天鎮守し給う本池塘の面積十二町歩十一万九千平方米貯水量約百万屯池築要員四万人星霜三百余年豊沃の稲田水漲り秋穂翻り星移りて更に池水利用事業に期待さる比に於て開祖の燕翼其の勲労を賞賛し弁天山に工事犠牲の先人を祭る観音寺の在りし昔を追想し祖先のみ魂に永劫の冥福を祈り霊地はすでに史跡公園として山紫水明景勝の遺産を護持すべく寺ヶ池地区水利組合定款に基づき永遠の維持管理を誓って之を託す
須田光綱撰謹書


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 そして反対側は水利組合に関係する人たちの名前が刻まれていました。引用すると次の通りです。

協力者 
河内長野市長 井上喜代一  連合井堰統領 西野安広 上原水利組合長 出口勝彦 野作水利組合長 桶井千代松 顧問 上坂明 顧問 中尾清治
組合長 須田光治 副組合長 田中猪一 同 大北隆英 会計 長畑宗昭 同 宮阪和雄 書記 山岸博一 常任委員 東兵一 同 東修 常任委員 加茂 新一郎 同 北浦三之助  同 葛野谷末造 同 沢田寒一 同 須田義雄 同 陸野幸作 監事 池上一男 同 辻重成
昭和五十四年七月一日 寺ヶ池地区水利組合建立

 ちなみに連合井堰とは寺ケ池、野作、上原の3水利組合からなる連合組織のことです。

 そして小高い丘(弁天山)の上に寺ヶ池鎮守が祀られていました。

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 こちらの階段を上がっていきます。ところが不思議なことがありました。

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 方向が違う? よく見ると後ろ側から上がってしまいます。
 平成十六年八月五日寺ヶ池地区水利組合建立 と刻まれていました。

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 この小さな鎮守の石の祠は自体は新しく、平成16年に作られたもののようです。しかし鎮守そのものは相当古くからあったそうで、1690(元禄3)年の絵図にも描かれているとか。
 恐らくは池ができたときに同時に祀られた(石碑でも書いている、池造成の工事での犠牲者を鎮魂 昔はここに観音寺があった?)と考えられます。

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 そして鎮守の正面にしっかり階段がありました。こっちが正面入り口だったんですね。(昭和五十二年寺ヶ池水利組合と表記)

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 正面の石碑です。本当はこちらから行けばよかった。

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 正面から見上げる、福神弁財天寺ヶ池鎮守の勇壮な姿。

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 ということで、入口から先日撮影した建物が見えました。こちらはいまだにわかりません。もしかしたら水利組合の関連施設かもしれませんね。

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