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どこにでもいる"大人"の生き方 2

住野よるさんの「麦本三歩の好きなもの」この本の感想の続きを今日は書いていく。

(略)言うべきことが、想像出来た。しかしそれはきっと三歩が生きてきた中で、こう言う場面で言うべきことだと知識として残ったものであって、本当に辛い思いをした友達にかける、自分自身の言葉ではないと思った。だから言わなかった。

死のうとした友人に対して、言うべきことがわかっているのにも関わらず、自分自身の言葉ではないから....と口にしない三歩が私はとても好きだと思った。

うまく言えないけれど自分の言葉で自分の気持ちを伝えようとする三歩が、とても好きだと思った。
誰かに悩みを打ち明けられた時、誰かが「辛い」と相談してきたとき、その辛さや心の痛みを100%わかってあげることはできないからこそ、何かしてあげたいという衝動に駆られる。

何か相手を勇気づけるような言葉を探すとか。一緒に泣くとか。ただただ抱きしめて泣かせてあげるとか。模範解答通りの言葉が1番相手に伝わる、なんてことはきっとない。だから自分自身の言葉を探さなければいけないような気がするのだ。相手の様子を見て、相手がなぜ自分に打ち明けてくれたのかを考えながら。

その人だけに届く何かを、伝えたいと思うのだ。



「麦本三歩はモントレーが好き」 264~265,268ページより

「でも、私に言わせたらさ、三歩は天然じゃなかったとしても、もっとずるいことをいつもやってると思うんだよ」(職場の先輩)(中略)
「今まで生きてきて、三歩だから許されてきたことって、あるでしょ?」
(略)
「それが、ずるい」(職場の先輩)
「ずるいことしたり、人に嘘をついたり、でも生きていかなくちゃいけなくて、自分をそんな嫌な奴だと思いたくなくて、だから他人をたっぷり甘やかして、その代わり甘やかしてもらって、必ずちょっとだけ反省して、生きていくしかないんだと思うよ。(略)」(職場の先輩)

この職場の先輩の奥が深い言葉がこの本で1番好きかもしれない。人はそんなに綺麗に生きていけないし、完全に淀みなく綺麗な心を持った人間なんてこの世にいないと私は思っているので、ストンと心のど真ん中に言葉が嵌まったような気がした。
ずるをすることや嘘をつくことがいつもいつも「悪」であるとは限らないけれど、やっぱりマイナスのイメージが付きまとっているのは確かだ。ほんのちょっと人には言えないような気持ちで ほんの少しマイナスの感情が付きまとうようなことをしなければ、生きていけないような気がする。ほんの少し「嫌な奴」になる時が、誰にだってきっとある。

誰かに対して優しい心で包み込んで、誰かから分け与えられた優しさを享受して。ほんの少しの罪悪感や後ろめたさを抱えたりして。それでも明日は必ずやってきてしまって。

ずっとずっと生きていかなくちゃいけない人間が、いつもいつも器用になんでもこなせるわけではないのだ。いつも綺麗じゃなくたって良い。泥臭く生きるなんて思わなくたって良い。

だから本当は、ほんの少しのズルをしたり、相手を思ってこその嘘をついたりしているどこかの誰かの生き方を、"間違っている"なんて横から口を挟めるはずがない。





大したことは何も起きない飽きてしまうくらいの日常の中で、どう生きようが自分の自由である。ずっと変わらないものを抱えていたい時もあれば、変わっていくものを大切にしたい時もある。

麦本三歩は、「慎ましやかで贅沢な、どこにでもいる大人」なのだ。(最終ページより)

そんな三歩が好きである。嫌いなものより好きなものの話をしていたい三歩が好きである。
そんな生き方を、大人になったらしたいと思ったりしている自分がいるのである。

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