『ペッパーズ・ゴースト』 伊坂幸太郎 作 #読書 #感想
Amazonより(あらすじ)
久しぶりの伊坂幸太郎。個人的には「イチオシの作家さん」というよりかは、作品によってめちゃくちゃのめり込んでしまうものと、全く刺さらないものとの差が大きいなぁ、という印象である。好みの問題であると思うが。
本の最初に登場人物一覧が書かれているだけあって、話が少々複雑である。物語は次の3つの視点で描かれているのだ。
①は壇(だん)先生という。先行上映というのは、いわゆる予知能力だ。"感染"すると、目の前の人の未来が見える、というものである。ここでの感染は接触、飛沫、粘膜を想像してほしい。
おどおどしている性格とはいえ、「目の前の人を助けたいんだ」というある一定ラインの芯を持った人である。
②はロシアンブルとアメショーである。悲観的な性格を持つロシアンブルと楽観的なアメショーは実に対照的で、ちょっとした会話が面白い。2人は「ネコジゴハンター」と呼ばれ、猫を虐待するような動画を流した人、それを扇動するような反応をした人に対して 復讐をしていく。殺すというよりかは、「あの時の猫を同じ目にあって、猫の痛みを理解しろ」という信念に基づき 生き地獄を味合わせるような行為をしている。
③は成海彪子(ひょうこ)という20代女性である。いわゆる"犯罪者が立て篭もった"というような事件(小説内ではカフェ・ダイヤモンド事件)で、家族が人質に取られ殺された。他にも大切な人を殺された人たちが集まり、被害者の会ができている。
ここまで読んだところで多くの人が感じたかもしれない。
「①〜③がどうやって結びつくの?」ということを。
この作品は表紙を見てもらうとわかると思うが、「本の中にある本の話」のようなものなのだ。そのため少しネタバレをすると、①の壇先生のクラスの生徒が書く小説(これを壇先生が読んでいる)に出てくるのが②の2人である。つまり②の2人はあくまで「物語の世界の登場人物」だったのだ。
しかし壇先生はあることをきっかけに、現実世界(読み手からしてみれば一重目の本の世界)で2人に巡り会うのである。
216ページより
ネコジゴを追う2人と、未来が見えてしまう壇先生と、ある想いを抱え行動を起こす被害者の会のメンバー。
彼らの混じり具合に、ハラハラドキドキとまではいかないものの、確実に「続きが気になるなぁ」という気持ちがずっと続いているのである。
この小説のもう1つのキーワードは、「ニーチェ」である。
"ニーチェが言うように、永遠にこの人生が繰り返されるのだとしたら...."と誰かが考えるシーンがしばしば登場する。
伊坂さん自身、ふとしたきっかけで『ツァラトゥストラ』を読んで、分かるような分からないような....という感想を抱いたという旨の〈あとがき〉を残しているが、ニーチェの考えの(物語への)織り込み方としては、少し中途半端なように感じられた。私自身がニーチェの教えを理解しきれていないからかもしれないが。
壇先生が③の成海たちに最後に言ったことがある。
378ページより
最後に感想として、ニーチェが言うように 永遠に同じ人生を繰り返すなんて嫌じゃないですか?あの日の希望をまた味わえる喜びより、かの日の絶望を再び味合わなければならない苦しみの方が大きいように感じてしまう。
『ツァラトゥストラ』、ちょっと読んでみようと思った。