思慮深さについて┊︎いじめられる経験と彼氏の言葉
大人になってから出会い、2年程お付き合いをしていて、尊敬している彼氏がいる。
ここで今から惚気話を始めるつもりはないのだが、彼氏の言葉に自分が成長できるヒントがあったので真面目に話していきたい。
1.学生時代の「いじめられる経験」
彼氏とわたしは学生時代に「いじめられる経験」をした。
いじめられる理由はさほど大きくはなく、単純に、いじめる子どもにとって都合よく、簡単に、いじめやすい対象だったのかもしれない。
いじめられていた当時、ふたりとも思春期に入っていた。
彼氏は、本人曰く、当時の家庭環境が大変だったことも相まって、学校と家庭の両方で傷つくことの多い環境で過ごし、めっちゃ"荒れていた"とのこと。
彼氏の経験についてはここまでの話とさせてもらい、わたしの経験を主に話していく。
わたしは、いじめを受けていた中学1年生の頃、学校や家で泣きまくり、遅刻や欠席をする日もあったが、ギリギリ耐えしのぐことができた。
元々、スクールカースト上位の所謂「頭の切れるギャル」で形成されたグループに属していて、いじめを受けてからはクラスで独りぼっちになった。
その中で、とても幸運で有難いことに「優しい陰キャ」グループの子がわたしを不憫に思い、温かい言葉を掛けてくれて、途中から仲間に入れてもらえた。
(スクールカーストでは別のグループとして分けられてしまうが、自分が陽キャと陰キャの両方の属性を持っていること、そういう人間が多いことを後に社会に出てから知る。)
「学校」という「クラス」という、子どもにとって閉鎖された社会集団組織の中で、ギリギリ自分の居場所が与えられたことで、耐えしのぐことができたのだ。
しかし、いじめが終わって中学2年生に進級する頃、不登校になった。
いじめの主犯格の子とクラスは離れたが、進級初日から、またスクールカーストによって分けられたグループが自然と形成され、急に "またここから新しいいじめが始まってしまうかもしれない" というトラウマ経験による予期不安と耐え難い恐怖が生じ、学校に行けなくなってしまった。
まあ、その後も色々な出来事があり、友達や先生、家族など周りの人に運良く恵まれた結果、いじめや不登校などの問題から克服することができたのだが、大まかに話すと、こんなことがあった。
2.「彼氏の言葉」と「思慮深さ」
ようやく、ここからが本題である。
前述の通り、彼氏とわたしはふたりともいじめられる経験をして、お互いに当時どんなことがあったか共有し合った。
わたしは彼氏に、ある質問をした。
「"いじめられた経験"はあるけど、"いじめた経験"はある?」
なんでこんな突拍子もないことを質問したのか分からないが、わたしは心の中で自分は無いなーと思い、彼氏もきっとこんなに優しい人だから、無いだろうと思った。
すると、彼氏の答えは予想外だった。
しばらく、うーん・・・と考え込んだ後、口を開き、
「"無い"とは言えない。 自分の知らないところで、自分の言葉や行動で、だれかを傷つけてしまうことがあったかもしれない。」
その言葉を聞いた瞬間、急にわたしは自分が身の程知らずに感じ、恥ずかしくなった。
彼氏の日々の言動は柔らかく、優しく、だれかを傷つけることはほとんどないように見える。
"これを言ったら" "この行動をしたら" 相手がどう感じて受けとるか、人一倍よく考えて選択をする、思慮深い人だ。
しかし、この言葉を聞いて、彼氏の「思慮深さ」は、そんなわたしの浅はかな考えや想像を遥かに超えていて、こういう想像力こそ、人としての優しさであり、誠実さなのだと思い知った。
いじめられる経験をしたことで、その辛さや苦しさを身をもって味わい、自分は人の痛みを想像できる人間になれる機会をもらえた。だから、絶対に自分はだれかをいじめない。傷つけない。確かに、そう心に誓って生きてきた。
しかし、残念ながら、それは"自分の意識の中だけの話"なのだ。
3.「無意識の自分」を知る
自分の"無意識"の中で、自分の言動によってだれかを傷つけることがあったかもしれないし、あるかもしれない。
なぜなら、「自分の正しさが、決して、誰にでも当てはまる正しさではないから」だ。
ジェンダー、障害、キャリア・働き方、恋愛観・結婚観など、今ここでは書ききれないほど多様な考え方や生き方が注目される世の中になってきているが、「無意識の偏見や価値観」というものは恐ろしい。
近年では、これを新しい概念として「アンコンシャス・バイアス」と呼んだりもする。
それは誰しもが持っているものであり、時にだれかを傷つけてしまうことがある。
4.まとめ「正解はひとつではない」
無意識のうちにだれかを傷つけないためにできることを考えていきたい。
無意識の自分を完全になくすことは、不可能とも言えるが、わたしは大切な人たちとの良い関係性を築いていきたいので、せめてもの努力をしたいと思っている。
自分の正しさを持つことは「信念」や「志」とも言えるし、それはひとつの正解だと思う。
しかし、正しさは人それぞれにあり、世の中に正解と言われるものは数え切れないほど存在する。
つまり、わたしの結論として
「自分も、他者も、誰しもが無意識の中の偏見や価値観を持っていること」
「世の中には正解がひとつだけではなく、たくさんあること」
まずは、このことをよく知っておきたい。
そして、だれかと対話をする中で、相手を見た目や性格・言動などの表面的な部分で決めつけてしまうのではなく、初めに、自分の話をする前に、相手の話によく耳を傾けることが大事だと考える。
わたしには自分の考えがあるからこそ、人それぞれの考えを"全て"理解して共感することは難しいが、そのように、想像力を働かせて汲み取ろうとし、向き合う姿勢そのものが、優しさであり、思慮深さなのではないかと思う。
最後に、彼氏の言葉がきっかけで大切な気づきを得ることができ、自分の成長意欲を高めてくれた彼氏へあらためて感謝を伝えたい。