『少年の日の思い出』のすごさ
先週、友人の娘さん(中学1年生)の国語のテスト勉強の相談に乗っていたところ、
懐かしい教材がテスト範囲になっていました。
皆さんも勉強した覚えがあるのではないでしょうか。
『少年の日の思い出』 ヘルマン・ヘッセ
パッと思い浮かばなくても、この名前に聞き覚えはないですか?
エーミール
あっ…思い出してきましたか?
そうです!!蝶とエーミールが出てくる、なんだか暗い感じのあのお話!!
自分が中学生の頃にも習いましたし、
私が働いている頃にも教科書に載っていましたし、
今も載っている。
なかなかの人気作品ですよね。
調べてみると、1947年に国定教科書に載って以来70年以上も教科書に採用され続けている作品。70年以上!!すごい!!
これは日本国民のほとんどがこの作品を中学校で勉強して大人になったということですよね!!
あっ、私は最近読んだばかりなので記憶が新しく、興奮して語っておりますが皆さん内容をお忘れのことと思いますので簡単なあらすじを。
*ちょっと長いので覚えていらっしゃる方や面倒な方はビューンととばしてください。
〈以下Wikipediaのあらすじを引用〉
子供が寝静まる頃、私は蝶集めを始めたことを客に自慢する。客の申し出を受け、私はワモンキシタバの標本を見せる。客は少年時代の思い出をそそられ、少年時代は熱心な収集家だったことを述べる。が、言葉と裏腹に思い出そのものが不愉快であるかのように標本の蓋を閉じる。客は非礼を詫びつつ、「自分で思い出を穢してしまった」ことを告白する…。
僕(客)は仲間の影響で蝶集めを8・9歳の頃に始め、1年後には夢中になっていた。その当時の熱情は今になっても感じられ、微妙な喜びと激しい欲望の入り混じった気持ちは、その後の人生の中でも数少ないものだった。
両親は立派な標本箱を用意してくれなかったので、ボール紙の箱に保存していたが、立派な標本箱を持つ仲間に見せるのは気が引けた。そんなある日、僕は珍しいコムラサキを捕らえ、標本にした。この時ばかりは見せびらかしたくなり、中庭の向こうに住んでいる先生の息子エーミールに見せようと考えた。エーミールは「非の打ちどころがない」模範少年で、標本は美しく整えられ、破損した翅を膠で復元する高等技術を持っていた。僕はそんな彼を嘆賞しながらも、気味悪く、妬ましく、「悪徳」を持つ存在として憎んでいた。エーミールはコムラサキの希少性は認めたものの、展翅技術の甘さや脚の欠損を指摘し、「せいぜい20ペニヒ程度」と酷評したため、僕は二度と彼に獲物を見せる気を失った。
僕の熱情が絶頂期にあった2年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユの繭を手に入れ、羽化させたという噂が立った。本の挿絵でしか出会ったことのないクジャクヤママユは、熱烈に欲しい蝶であった。エーミールが公開するのを待ちきれない僕は、一目見たさにエーミールを訪ねる。留守の部屋に忍び込み、展翅板の上に発見する。展翅板からはずし、大きな満足感に満たされて持ち出そうとした。部屋を出たのち、近づくメイドの足音に我に帰った僕は、思わず蝶をポケットにねじ込む。罪の意識に苛れ 、引き返して元に戻そうとしたが、ポケットの中で潰れていることに気づき、泣かんばかりに絶望する。
逃げ帰った僕は母に告白する。母は僕の苦しみを察し、謝罪と弁償を提案する。エーミールに通じないと確信する僕は気乗りしなかったが、母に促されてエーミールを訪ねる。エーミールが必死の復元作業を試み、徒労に終わっていることを眼前にしながら、僕はありのままを告白する。エーミールは舌打ちし、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と皮肉を呟く。僕は弁償としておもちゃや標本をすべて譲ることを提案するが、エーミールは「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」と冷淡に拒絶した。収集家のプライドを打ち砕かれた僕は、飛び掛りたい衝動を押しとどめて途方に暮れながら軽蔑の視線に耐えた。
一度起きたことは償いのできないことを悟った僕を、母が構わずにおいたことが救いだった。僕は収集との決別を込めて、標本を一つ一つ、指で粉々に押し潰した。
うおっ!!!
もうなんともいえない!!!あー、思い出した!あの習った時のなんともいえない気分を思い出した!!!
暗い!!とにかく暗いんだ!!
あらららららー、そりゃあ、まぁ、そうなるね。
でも、めっちゃわかる!!一人一人の気持ち、今ならめっちゃわかる!!!
☆ 主人公の少年の想像力のなさ。大体みんな失敗した時に「一度起きたことは償いができない」って、あとで悟るんですよね。
☆ エーミールの雰囲気。(非のうちどころのない模範少年は悪徳らしいです)
この2つは子どもの頃にも感じていたのですが、今読んで1番感じるのは、
「この少年のお母さん、偉い!!!」
もうね、自分がこの少年の母の立場だったらと思ったら目眩がしましてね、こんなふうにちゃんと子を導けるのか疑問なんですよ。でも作中のお母さんはすごいんです。
ちゃんと正しいことをさせているし言ってるし。
あとは黙って受け入れている。
お母さん、格好いい!!!
1つの作品を読む時、自分がどの立場で読むのか、どこに感情移入するのかで楽しみ方や受け取り方が違ってくるというのはすべての作品において言えることですが、
この『少年の日の思い出』は特にそれを強く感じました。
中学生の頃に読んだ時は
(あわわわわわ)と、なりながら読んで、
まぁ、今も違った意味で
(あわわわわわ)だったんですけど、
この作品がなぜ70年以上も教科書に載り続けているのか、その意味がわかった気がします。
こんなところまで読んでいただけていることがまず嬉しいです。そのうえサポート!!ひいいっ!!嬉しくて舞い上がって大変なことになりそうです。