それは、パクリではありません!【第2話】【全4話】
第2話
出版社との対決
——ストーリーだけならまだしも、主人公の名前までそっくり同じだなんて。こんなの、絶対におかしい。抗議しなきゃ。
紀子は体を震わせながら、出版社に抗議のメールを送った。
メールを送る前に、まずは漫画の広告に表示された「あらすじ」を確認し、自分の作品が酷似している箇所について、くまなくチェック。気になる部分は、余すことなく指摘をした。
作品をパクった出版社は、業界最大手だ。過去にこの出版社が発行した書籍を、何度か購入したことがある。ベストセラーを数多く出版している名の知れた会社だし、きっと誠意のある対応をしてくれるはず。
いや、待って。逆に私がパクリを指摘したことで、出版社から怒られたりはしないだろうか。そんなものは、事実無根だと言われたらどうしょう。
パクリはあなたの思い込みで、それは何かの間違いではないだろうか。そんな風に言い返されたら、なんて切り返せばいいのだろうか。
大きな会社なら、知恵の回る社員も多く抱えているだろうし、捻りのきいた言い訳などいくらでも述べてくるはず……。
それとも。もしかしたら、私自身が出版社から、多額の慰謝料を支払われるのかもしれない。ほら。大きな会社は、昔からお金を積んで悪事を揉み消すって、よく言うじゃない?
となると、パクリの事実を揉み消すために、出版社は私に大金を積むのではないかしら。
でもあの作品は、私にとって大切なもの。確かに今、私に貯金はないし、お金は喉から手が出るほど欲しい。だけど束の紙切れで、簡単に解決されてしまうのも困る。
どうして、私の作品をパクったのか。事実を知りたい。そして、私に誠意を見せて欲しい。
紀子がメールを送って数分後、出版社からメールが届いた。届いたメールを、紀子は恐る恐るクリックする。
出版社からのメールには「この度は、不快な気持ちにさせてしまい、誠に申し訳ありません。ただ、中井さまの作品を盗作したつもりはございません。ご理解して頂けると幸いです」というものだった。
メールの文は、ほんの数行のみ。あの漫画広告を見た時のショックは、こんなお粗末なメッセージのみで片付けられるのか。
出版社のメッセージを確認すると、一応謝ってはいるらしい。でも、パクリの事実に関しては認めていない様子だ。
——やっぱり、やんわりと指摘する程度では、向こうもパクリの事実を認めないのかも。
ならば。作品がパクりである事実と、証拠をきちんと確認して、相手にメッセージで伝えればいいのかもしれない。
そう思った紀子は、早速行動に踏み切る。まずは、明智ユリアの漫画をネットから購入した。
——へぇ。漫画、1話ごとに100円もお金取るんだ。人の考えたネタをパクって、作られた漫画だというのに。
いい気なものだ。この漫画のキャラクターも、構成も。考えたのは、全部私。なのに、私に一銭も入らないのは、絶対におかしい。
それに明智の売上に貢献するのも、胸がざわざわする。そもそも、なんで私が考えたネタで構成された漫画を、私がお金を出して買わないといけない訳?
でも、パクリの事実を確認するためには、そうも言ってられない。漫画に登場するキャラクターの名前、セリフが似ている部分などなど。紀子は、ページの隅から隅まで、血眼になってチェックをし始めた。
蓋を開けてみれば、パクられているのは主人公の名前、ストーリーの構成だけじゃない。セリフの言い回しも、私の小説とほぼ同じだ。小刻みに震える手が止まらない。
紀子は、主人公の名前、構成、セリフの言い回しが似通っているなど、パクリと感じた部分を伝えるべく、出版社に再度メールを送る。
紀子がメールで送付すると、出版社からすぐに謝罪メールが届いた。
瞬殺で届いたので、メッセージはテンプレートの使い回しかもしれない。大手出版社なので、読者も多く抱えてるだろうし。その分、苦情や批判が届くこともあるだろう。
謝罪文の雛形くらい、いくつか用意しているはずだ。メッセージはAIでも書けそうな、ありきたりのものではあるけれども。メールの内容からは、申し訳ない気持ちが伝わってくる。
出版社も謝っているようだし、もう戦わなくてもいいのではないか。
いや、ちょっと待って。紀子は、メールをもう一度冷静になり、再度確認する。メールを改めて見ると、そこには「漫画家の明智ユリアにも、厳重注意しておきます」と書かれている。
なぜ、その漫画家に注意をする必要があるのだろうか。その部分が、曖昧に濁されている気がする。それは、やっぱりパクリの事実を認めたから?
でも、メッセージの中にはパクリの事実を認めた一文について記載されていない。このままだと、出版社からパクリの事実を適当に濁されて、片付けられそうだ。
ここで諦めたら、自分の作品が他人のものとなって消化されてしまうかもしれない。そんなのは絶対に、嫌。
やっぱりダメだ。自分の作品のためにも、このまま出版社を許してはならない。
それに謝って済むものなら、警察など必要ないはず。そうだ。日本には、警察がいるじゃない。警察なら、この問題を解決してくれるかも。
こうと決まったら、善は急げ。さっそく、紀子は「9110番(※警察相談専用の連絡先)」へ連絡する。
「私の10年前の作品が、盗作されています。助けて下さい」
「盗作事件ですか。それは、大変でしたね。申し訳ありませんが、この付近で先ほど事件がありまして……。申し訳ありませんが、また今度にしてもらえませんか?」
警察官の、息遣いが荒い。本当に急いでいるのだろう。でも、事件と言われても。こっちも、盗作事件に遭遇している訳だし。
「事件があると言われても。私も今、急いでいるんです」
「お力になれず、申し訳ありません。うちも今、事件で手が回らない状況でして。すみませんが、また後ほど連絡していただけると助かります」
だからこっちも、事件に巻き込まれているんだって。紀子は眉をひそめて、憤慨した。
警察も、どうやら私の力になってもらえそうにない。紀子は警察への連絡を諦め、やれやれと肩を落とした。
そもそもあの作品は、紀子が一生懸命自分の頭を捻って考え、作成した小説だというのに。著作権は、私にあるはず。
にもかかわらず、紀子がその作品で賞を取れず、パクりを働いた明智ユリアがその作品でお金を稼ぎ、評価されるのも許せない。
やはり、あの漫画家と出版社のことは、罰金を払う程度で許してはいけない気がする。
作品をなぜ盗作したのかについても、きちんと説明が欲しい。一生懸命作ったあの作品は、まさに我が子同然。大切な作品だからこそ、簡単に盗まれてはいけないのだ。
紀子は、出版社から届いたメールと、明智ユリアの漫画をスクショし、SNSの「X(旧Twitter)」へ「みなさん。聞いてください。私が数年前に投稿した小説が、漫画家の明智ユリアにパクられました。助けて下さい」と投稿した。
するとその投稿は、たちまち拡散された。数分単位で、ピロリンというSNSの通知音が轟く。投稿を確認すると、投稿は10万リツイートされている。
これまで、投稿には「いいね」すら一度もついたこともないし、コメントだって届いたことないというのに。まさか、そんなに反響があるなんて。
誹謗中傷
出版社と明智の作品に関する「パクリ疑惑」をSNSで告発後、紀子の元に不特定多数の人物からDM(ダイレクトメール)が届いた。
いずれのDMも、すべて紀子への文句だった。ここには、どうやら紀子の味方は1人もいないらしい。
メールを送ってくる人は、どうやらいずれも明智ユリアのファンのようだ。明智は美人漫画家としても人気があり、作品のみならず、男性ファンも数多く抱えている。
アイドル的人気をもつ漫画家を告発したためか、紀子の元には連日のように、「告発をやめろ」「投稿を消せ」というメールで溢れかえる。
鳴りやまないSNSの通知音に、紀子は両耳を塞いで蹲る。どうしよう。心臓がバクバクする。
私は、自分の味方が欲しかっただけ。「大変でしたね」と、誰かに寄り添ってもらいたかっただけなのに。どうして、不特定多数の人たちから責められ続けなければならないの……。
投稿から、数日経ったある日。紀子はXにて思いもよらない投稿を目にする。それは、漫画家の明智ユリアによるものだった。
迂闊だった。明智ユリアの投稿を見るなり、紀子はわなわなと震える。
作品のパクリ疑惑を訴えることで夢中になり、大事なことをすっかり忘れていた。著作権のあるコンテンツのスクショをSNSに無断でアップするのは、違法行為じゃないか。
編集プロダクションでも、著作権については散々学んできたはず。なのに。どうしてこんな初歩的なミスをしてしまったのだろうか。
きっとあの時、自分の作品のことで頭がいっぱいになり、我を忘れていたのだろう。紀子は青ざめた。恐怖のあまり、手足の震えが止まらない。
著作権侵害で訴えられた場合、罰金はいくらかかるのだろう。震える手で、紀子は罰金の金額がいくらなのか調べた。
1,000万円の数字を見るなり、紀子は携帯をぽとりと落とす。どうしよう。私、お金なんてないのに。
※
明智の投稿がきっかけとなり、紀子はSNSでさらに叩かれ続けた。ひどい時は、過去にSNSへ上げていた顔写真、プライベートの写真を晒される。
写真が晒された投稿には、「顔出しや本名すら出していない匿名のくせに、生意気だ」、「明智さんの悪口を言って、絶対に許さない」と、紀子への批判コメントが相次いだ。
SNSで晒されたのは、写真だけではない。自分の顔や職業、本名が次々と晒されていく。紀子のSNS通知音は、連日鳴り止むことはなかった。
明智のファンに、刺されたらどうしよう。足がすくむ。全身の震えが止まらない。外に出るのが、たまらなく怖い。
やがて紀子の住所がSNSユーザーに特定されたのか、自宅の郵便受けには誹謗中傷の手紙がひっきりなしに届く。
確かに、相手の漫画スクショしてSNSに投稿したのは、悪いと思っている。でも、本来ならこちらは作品を盗まれた被害者だというのに。
なぜ自分の顔、名前、職業が晒され、こんな目に遭わなければならないのか。紀子は泣きたい気持ちで、胸がいっぱいだった。
紀子に起きたトラブルは、SNS上の話だけではない。それは、いつものように会社へ出勤した、ある日のことだ。
編集部の佐藤拓也から、紀子は肩をポンと叩かれる。佐藤拓也こと「佐藤さん」は、黒縁メガネと顎髭がトレードマークの55才だ。
佐藤さんは名前が拓也なので、編集部からは著名人のキムタクにちなんで「サトタク」とも呼ばれている。風の噂によると、今はふくよかな体型だが、昔はスリムなナイスガイだったらしい。
佐藤さんは編集部長を勤めており、出世頭の1人として呼び名も高い。仕事熱心で悪い人ではないが、小言が煩いので苦手だ。
「君、とんでもないことしてくれたよね」
一体、なんのことだろうか。佐藤さんから声をかけられ、紀子は首を傾げる。
「私、何かしましたか?」
すっとぼけた表情の紀子に対し、佐藤さんの顔が真っ赤になる。鬼の形相をした佐藤さんを見て、紀子は青ざめた。
こんなに怒っている佐藤さんを、これまで一度もみたことはない。佐藤さんの緊迫した様子に、辺りがしんと静まり返る。
「中井さん。SNSで、出版社と漫画家を訴えたでしょう。もしかしたら、あの出版社は未来の取引先になるかもしれなかったというのに。全く、とんでもないことをしてくれたもんだ」
佐藤さんの鼻息が、乱れている。頬も真っ赤で、頭から湯気が出そう。かなりお怒りの様子だ。
「ごめんなさい」
紀子は抑揚のないセリフを発し、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさいで済むなら、警察はいらないよ。なんであんなことしたの?研修でも、著作権については徹底的にレクチャーしたはずだ!
どうせ、君のことだ。居眠りでもしていたんじゃないのかね」
SNSの出来事は、本当に迂闊だったと反省している。でも、でもだ。自分が懸命に作成した渾身の作品を、勝手にパクった漫画家は著作権で訴えられなくてもいいのだろうか。
あの漫画家が私の作品をパクることがなければ、あんなことしなくて済んだというのに。
おまけに漫画家の明智ユリアは、例のパクリ漫画が読者から高い評価を受け、なんと次の第3回日本漫画大賞の候補にもなっているらしい。
紀子にとって、自分の作品からアイデアを盗まれ、それで評価を受けている明智ユリアのことを、どうしても許せなかった。
なぜ自分は、彼女から訴えられ、おまけにファンから誹謗中傷を受けないといけないのか。そもそも私は、盗作被害を受けている当事者なはずなのに。
「君、明日から来なくていいから」
佐藤さんからそう言われ、紀子はたちまち青ざめる。
「えっ。困ります。私、今お金ないです」
「君にお金がないとか、知らないよ。貯金していないのが悪いんじゃないの?
あのね。君がしでかしたことが原因で、会社にも誹謗中傷メールが相次いでいるの。
君からは、反省の色も見られないし。とてもじゃないが、仕事をふざけているとしか思えない」
佐藤さんの話によると、SNS上にて紀子の職場が特定されたことが原因で、明智のファンたちから誹謗中傷メールが会社に100件以上届いているらしい。
その話を聞くなり、紀子は恐怖のあまり全身が震えた。ここにきて、事の重大さをやっと思い知る。本当に、なんてことをしてしまったのだろう。
「君がXで暴れたせいで、会社が大きな損害を受けているの。君、もう明日から来なくていいから」
そういって、佐藤さんは紀子をキッと睨む。クビを宣告されちゃった。明日から、どうしよう。紀子は絶望する。貯金もないし、お金もない。仕事もない。明日から、どうやって生きていけばいいのか。
ふと紀子は、助けを求めるべく辺りを見回す。フロアの人々は、みな気まずそうに俯いている。目を合わせてもくれない。面倒なトラブルに、巻き込まれたくないのだ。
紀子が放心状態になっていると、隣の席の近藤さんに小声で「大丈夫?」と、声をかけられた。いつも小言を言う近藤さんの表情は、まるで仏のように優しい。
「大変だったわね。何もできなくて、ごめんね」
落ち込む紀子の耳元で、近藤さんがぼそっと囁く。
「すいません。私のせいで、会社に迷惑をかけてしまいました」
「中井さんの認識が甘いのは薄々気づいてたから、いつかやらかすと思ってヒヤヒヤしてたんだけど。まさか、こんなすぐに事件が起きるなんて」
「ごめんなさい……」
近藤さんは、自分のために忠告し続けてくれていたんだ。あの時、忠告を顧みず耳栓してごめんなさい。紀子は、目に涙を滲ませる。
「今回の出来事を反省して、あなたは前に進みなさい。会社の炎上トラブルには慣れているから、私がある程度はなんとか対処するから。気にしないで」
「でもこの炎上は、私のせいです。私がなんとか……」
そう言いかけると、近藤さんは手のひらを向けて、スッと紀子の前に差し出した。手入れの行き届いた、綺麗な指がすらりと伸びる。
そういえば、作業の度に近藤さんはハンドクリームで、こまめにケアをしていたっけ。見た目に気を使わない近藤さんだが、手先だけは仕事の資本だからと、ケアを徹底していた。
「あなたは、何もしなくていいから。今は、自分のことだけ考えなさい」
近藤さんは、穏やかな口調で紀子を宥めた。仕事、解雇されちゃった。今後は仕事のことも心配しなくていいし、校正チェックのストレスからも解放される。なのに、なんでこんなに胸が苦しいんだろう。
「中井さん、落ち込まないで。あなたはあなたなりに、色々頑張ってくれたと思う。今まで、どうもありがとう。
また、ご飯食べに行きましょう。あの定食屋も、プライベートで行きましょうよ」
「はい。ありがとうございます……」
「本当はね、あなたにランチ誘われて嬉しかったんだから。話ならいつでも聞くからさ」
いつもカリカリしていた近藤さん。炎上に煩いはずなのに。近藤さんの目が、少し寂しそうだ。一緒に私と仕事できなくなるの、本当は辛いのかもしれない。
「ありがとうございます。近藤さんも、お仕事頑張ってください」
紀子の目には、涙が滲む。もう、この席で仕事できなくなると思うと、途端に寂しくなった。涙をぐっと抑えて、紀子はそそくさとデスク周りを片付け始めた。
SNSで既に顔、名前も公表されてしまった自分は、再就職したくてもできないのでは……。これから私、どうやって生きていけばいいのか。紀子は両手で頭を抱え、ぐっと顔を 顰める。
その翌朝、携帯の着信音が鳴り響く。重たい瞼を擦りながら、むくりと紀子は起き上がる。
ディスプレイを見ると、佐藤さんの名前が表示されている。今度は一体、何の用だろうか。
電話に出た途端、説教されたらどうしよう。でも、もう会社に解雇された訳だし。もしかしたら、退職手続きの説明かもしれない。体を小刻みに震わせながら、紀子は赤い受話器のボタンをクリックする。
電話に出るなり、佐藤さんは「中井、今起きているか」と、大きな声で吠えた。時計の針を見ると、朝の6:30。通勤の時より、1時間早い。
「起きたというより、佐藤さんの電話で目が覚めました。こんな朝早くに、何の用事ですか」
そう紀子が伝えると、渋い口調で佐藤さんが話をし始めた。
「あの時は、カッとなってしまい、済まなかった。明日から、会社に来なさい」
急に、そんなこと言われても。すでに机の上には片付けてしまったし、身支度も済ませてしまった。私が会社に行った所で、職場の人も気まずいだろう。
「私、確かクビですよね?」
「いや、あれは僕が頭に血が上り、口走ってしまっただけで……。実は、派遣契約の中途解除を行う場合、30日前に予告しなければならなくて。
予告もせずに解雇すると、派遣労働者の賃金相当分の損害賠償が必要になるらしくてね。
クビは、撤回だから。明日から、会社に来なさい」
佐藤さんの声に、いつもの張りがない。この口調は、面倒な仕事を任された時に返す時の話し方だ。おそらく、上の者から指摘されたから、渋々連絡してきたのだろう。
そういえば、今まで解雇されてきた派遣先は、1ヶ月以上前に、連絡があったっけ。
「佐藤さん。私、しばらくお休みしてもいいですか。これまでを反省すべく、しばらく頭を冷やしたいです」
そう言うと、佐藤さんは面倒くさそうに「わかった。それじゃ、待っているから」と言って、電話を切った。本当は。私のことなど、ちっとも待っていない癖に。
紀子の有給休暇は、残り8日ほど。フルタイムの派遣社員は、雇入日から6ヶ月間の継続勤務をした場合、最低10日間の有休が与えられる。
勤務年数が1年ごとに増える度に、年次有給休暇の日数が増える仕組みだ。
既に有給を数日利用したため、休みもあっという間に終わりそう。この間に、気持ちを整理しないと。紀子は、やれやれと肩を落とす。
会社に戻れたとしても、この調子だと正社員雇用の話が出る前に、契約解除になるだろう。貯金が底を尽きる前に、アパートを解約した方がいいだろうか。しかし、地元に帰ったら母が悲しむはず。
身を粉にして働いて、東京へ行くための費用を用意してくれていたというのに。こんな中途半端な形で地元へは、やっぱり戻れない。
紀子が悶々とした気持ちを抱えていると、Xのアカウントに一通のDM(ダイレクトメール)が届く。また、誹謗中傷だろうか。やれやれと思いながら、紀子は携帯をチェックする。
DMのアカウント名は、「健太@小説読み専」と書かれている。「小説読み専」とは、小説を書くのではなく、読むことを専門に行っている人のことだ。
連日多くのアカウントから誹謗中傷が届いていた紀子にとって、DMを見るのは恐怖でしかない。震える指で、紀子は受信メールのアイコンをクリックする。
——私の、ファン?
紀子は、きょとんとする。ネットに小説を投稿して10年後、なんとSNSを通じて自分のファンからメールが届いたのだ。
【続く】
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