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私は1人じゃない。創作の沼は孤独を救う
窓の隙間から漏れる子どもたちの声に、耳を欹てる。がらんとした教室の隅っこに、私は1人きり。
「私も仲間に入れて」
その台詞をこれまで、一体何度飲み込んだことだろうか。そう言えたならきっと、私は今頃絵を描くどころか、文章を書くことすらしていなかったかも。
校庭を駆け回る子どもたちの楽しそうな声が、私の空虚な心を掠めていく。愉快な声に振り回されたら、私は寂しさで萎んでしまう。彼らの声に振り回されてはいけない。私は私で、自分なりに孤独を解消していかなければ。私は退屈な休み時間を埋めるべく、鉛筆をぎゅっと握って一心不乱に漫画を描き続けた。
◇
小学4年生の頃。休み時間になると、私には漫画を描く習慣があった。絵が得意だった訳でも、創作が趣味だからでもない。友達がいなくて、他にやることがなかったのだ。
今日は何を書こう。ドキドキワクワクしながら、ノートを捲る。真っ白な紙の上に鉛筆を滑らせる。あの頃よく描いていたのは、3人組のギャング漫画だ。天然でドジな主人公と、頭脳明晰な右腕。そして、セクシーな服を身に纏う謎の女性が、恋人の肩にぴたりと寄り添う。
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物語は闇の組織に狙われたギャングが手と手を取り合い、使命を全うする。ピンチになると仲間の誰かが手を差し伸べ、幾多もの難を逃れていく。
紙の上で踊るキャラクターたちは、仲間に囲まれてとても楽しそう。友達に恵まれなかった私は、ノートの上に理想と妄想を詰め込んでいた。寂しいのは現実だけでいい。せめて夢の中だけでも、私は誰かに囲まれていたかった。
それからしばらくしたのち、私は父の仕事の関係で学校を転校する。転校先でも絵を描いていたら「絵が上手いね」と褒められ、気づけば周りに人だかりができるようになった。
今思えば絵の上手い子は他にもたくさんいたし、決して上手い訳ではなかったけれど。毎日机の上で黙々と漫画を描いていたので、クラスの中でも目立つ存在だったのかもしれない。まさに継続こそ、誰かの注目を呼ぶのだ。
中学生になった。片思いの男の子が柴犬に似ていた。ぽってりした頬に、とろんとした目はスヌーピーのようでもある。彼の顔に、犬の耳をつけた絵を描いたら可愛いのではないだろうか。
それは、ほんの出来心だった。実際に描いてみると、とても可愛い絵が描けたのである。
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私はそのキャラクターに「犬男くん」と名前をつけた。名前の由来は友達の飼っている犬の名前が「犬男くん」だったから。名前をつけることで、キャラに命が吹き込まれていくのを感じた。
犬男くんだけでは寂しそう。そうだ、犬男くんの他にもキャラを増やしてみよう。
片思いをしていた彼の隣には、いつも赤ら顔で仏頂面の男の子がいた。彼の後ろを無言でトコトコとついていく姿が、たまらなく可愛いかった。そうだ、彼もこの世界の住民にしよう。赤ら顔で無表情のキャラといえば……タコがいいかも。
そして私は、無愛想な表情をしたタコのイラストを描く。
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タコの見た目が思いの外可愛いので、毒舌キャラ設定にしてギャップ萌えを狙う。この漫画の読者は私1人。誰かに見せる訳ではない。それでも、私という読者を楽しませる努力は惜しまない。だからこそ、キャラ設定にも徹底的にこだわるのだ。
犬人間とタコが友達って、斬新。これは読者の「私」にも、きっと刺さるはず。せっかくなら、飛び切りのストーリーを作ってみよう。
タイトル「犬男くん」
【ストーリー】
犬飼健二はある日、飼い犬「犬男」の散歩をしている最中に不注意でリードを離す。その瞬間、犬男は車に轢かれそうな子どもを救うべく、道路へ飛び出してしまう。
犬男は脳だけ、子どもは脳死状態。医師の提案により犬の脳を子どもに移植して「犬人間」として犬男は生きることに。その一方で、見せ物として犬男を誘拐しようとする輩達、死の世界へ導こうとする死神に犬飼は頭を悩ませることになる。
実は当初、犬男くんのストーリーに親友の「タコ男くん」は登場していなかった。ストーリーを作っている最中で、どうしても犬男くんに友達を作ってあげたかった。
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犬人間の友達なら、普通の設定だと他の犬人間か、もしくは猫あたりにすべきだろう。なぜタコなのか。その理由は上述と被ってしまうが、モデルになった彼の友達を見て「タコのように赤ら顔で、いつも口を尖らせては何かに不満を抱えていそうな人だ」と思ったからに他ならない。
ストーリーのおおまかなあらすじを考えたら、キャラを深掘りしていく。人物相関図を描いて、ストーリーの辻褄が合うようにするプロセスも、漫画にとって大切な要素のひとつ。
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今振り返ると、あの頃の私なりに真面目だった。犬男くんはドラえもんのようにきっと名作になるはずだと、当時は信じて疑わなかった。ちょうどその頃、同じクラスの漫画家志望の子から「漫画交換日記をしよう」と誘われる。
漫画交換日記とは、交換日記の漫画バージョン。それぞれが漫画を描いて、次の人へバトンを渡す。漫画を読んだら、感想やフィードバックも行う。私はここで、漫画家になる夢を早々に諦めようとする。理由は、友人の漫画がどれもクォリティから構成までレベルが高かったからだ。
友人のフィードバックを読むと、作品への感想や考察の深さに目を丸くする。本当に漫画を描くのが好きな人だったので、一コマずつ丁寧に読んでくれているのを感じる。
正直、私はそこまで深く考えて漫画など描いていない。単純に休み時間の暇つぶしと、あとは楽しいからという理由のみで描いていた。ところがここにきて、本当に漫画を描くのが好きな友人と出会い、彼らの凄さにすっかり打ちのめされてしまう。
それでも結局、心のどこかで諦めきれずに「漫画家になる方法」というノウハウ本や、スクリーントーン、Gペンなどもお小遣いからコツコツ捻出して買い揃えていく。高校になる頃には、母親より「プロになるほど上手くないから、諦めて勉強した方がいい」と促されたのをきっかけに、Gペンを処分した。
中学の頃に「絵がダメなら、小説ならどうだろう」とも思った。けれどここでも、同級生で感想文が超絶に上手い子と出会い、すぐ諦めた。彼女はまさに、ルックバックの京本みたいな子。
本をたくさん読んだからとか、文章を練習したからどうという話ではなく、彼女は発想が斜め上に突き抜けているタイプ。読書感想文に関しても「みんなが本の感想を書くなら、私は自分の考えで全部埋めてやろうと思った」と、あっけらかんとした表情で語る子だった。歪な原石のように尖った彼女のセリフを、私は今でも忘れられない。
そんな訳で、彼女の読書感想文には、本に関するネタなど一切書かれていない。それでも数行読んで、彼女には「一生勝てない」と感じた。
そんな彼女はその後、大きな賞を受賞して作家デビューし、20年経った今でも活躍している。
◇
創作を続けていると、その道で突き抜けた人と出会うことがある。斬新な作品を目にするたびに「勝てない」と感じ、嫉妬したり諦めることもしばしば。
そんな私も、ある時期から素晴らしい作品に出会っても嫉妬しなくなった。純粋に誰かを応援できるようになったのは、私がライターの道で書きたいことを書いてきたからだろうか。
私は創作の道では夢が叶わなかったけれど、ライターの仕事では自分のやりたいことを実現できた。ライターは黒子的存在でもあるので、自分が表に出る訳ではない。何者にもなれていない。
それでも今の道に満足できているというのは、ひょっとすると私は「書くこと」そのものが好きだったのかもしれない。
今でも仕事以外で時折無性に創作したくなってしまうのは、物語を作るのが本当に好きだからなのかも。自分に物語を作る才能があるとは、正直思っておらず。けれど、書くのは楽しい。あとは、私が作品を作ることで喜んでくれる人たちが、この場所=noteにはたくさんいる。だから私は、お金にならなくても創作を継続しているのかもしれない。
創作大賞の中間選考に残った訳でもなければ、自分で言うのもなんだけれども、私がnoteで書いた小説 「 #それはパクリではありません 」は、評判が良かった。
noteではビジネス系のノウハウと比べると、エッセイ……とくに小説はなかなか読まれないと言われている。そんな中、こちらの作品はPVが1,500を超えており、今でも定期的に読まれ続けている。
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noteを通じて、小説の感想もたくさんの方々に書いてもらえた。
展開がスムーズで分かりやすい。また登場人物も絞られていて、頭の中でするすると映像化できるような、読み易さがあった。
物語の内容も、昨今社会的に問題になったことを思わせるようなテーマでもあり、ここnoteで創作している人であれば、起こりうる問題なのかもと思って、ほどよい緊張感を抱きつつ読める。
読書の醍醐味である追体験をすることで、自分の身を守る知識が得られるような作品だった。応援しつつ、自分も気をつける、続きが気になる、そんな心地よいスピード感で読めた。
人の間に交流が生まれる時、思ってもみない力が引き出されることがあります。この作品では主人公に救いの手を差し伸べるという形でそれが描かれていますが、作者がこれまで色々と苦労をしてきたからこそにじみ出た優しさと知恵だと私は感じました。
小説が読まれたのは、創作をしている人なら誰もが心にある「盗作」「著作権」をテーマにしたのも大きいと思う。あとは、創作している人の励みになる内容にしたのも良かったのかも。
主人公の盗作ピンチを救ったのが「たった1人の読者」というのは、私にとっても理想の展開だった。この作品は気に入っているので、形を少し変えたりして出版社の持ち込みや、他の公募へ応募し続けている。なかなか難しいかもしれないけれど、いつの日か形にしていきたい。
私の作品を読んで喜んでくれる人が1人でもいる限り、ここで創作を続けたい。継続することで、誰かを笑顔にできるのならそれは価値があることだから。それからインターネットを通じて、お互いに創作を楽しみ、切磋琢磨し合える仲間もできたのも嬉しい。
——私はもう、1人じゃない。
◇
創作の沼は深い。浸かるほど泥濘にハマり、ズブズブと腰まで使ってしまう。時には思うような言葉が頭に浮かばずに苦しむこともしばしば。
けれど悩み抜いた先にでたアイデアこそ、光り輝くものであるというケースも少なくない。アイデアを考える過程は苦しいけど、搾り出していくことで思考も深まる。そして、同じように創作に励む人へエールを送ることもできる。
沼に浸れる世界を持つことで思考も深まるし、視野も広がる。隣の誰かの努力にそっと寄り添うこともできるのだ。
長く続けてきたこの趣味は、今のところ趣味のまま終わっている。プロデビューする直前まで行って、チャンスを逃してしまったこともある。趣味を仕事に繋がるのは難しいけれど、根気よく続けていれば夢だって叶うかもしれない。そんな想いを馳せつつ、私は今日も創作を細々と続けている。
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【完】