あの子が学校を辞めた。だから、告白しようと思ったんだ
切れ長の瞳が美しい彼は、ある日突然高校を退学した。彼とは、私が片思いしていた男の子だ。
彼は、属に言う「やんちゃグループ」の1人だった。背が高く筋肉質で、他の高校生よりも一回り大きい彼は、女子にモテモテだった。
あの頃の男子は、背が大きいというだけでもモテ要素に繋がっていた気がするけれど。彼に関しては、人を惹きつけるオーラも備わっていたように思う。
そんな彼は、学年でも人気の可愛い子と交際していた。しかしその数ヶ月後、風の便りであの可愛い子とはどうやら別れたという情報が入る。
これはチャンスだ。私の背筋はゾクゾクした。ところが喜んだのも束の間、今度は他校の美女と付き合っているという噂を小耳に挟む。どうやら、今度の彼女もめちゃくちゃ美人らしい。
こんな風に、彼の周りではいつも女の噂が絶えなかった。ある時は、一学年下の超絶美少女と彼が、楽しそうに一緒に歩いているのを見かけたこともあった。
「あれは、◯◯君の彼女?」と、私は友人のエリ(仮名)に尋ねる。エリは、○○君の元カノと親友関係のため、彼とも仲が良いのだ。エリによると、どうやらあの子は彼女じゃなくて、ただの女友達らしい。
私からすればイチャイチャしているようにも見えたが、モテ男からすればスキンシップもコミュニケーションの一部なのだろう。
それにしてもモテ男は、女友達からしてめちゃくちゃ可愛いのか。いいなぁ。私なんて彼氏はおろか、男友達すら1人もできないというのに。人間とは、実に不平等だ。
あの人のことを好きな癖に、なぜか彼と比較して自己嫌悪に陥っている自分がそこにいた。人間とは、実に複雑なものである。
そんな彼を好きになった理由は、私が一目惚れしたからだ。そもそも、彼とは一度も話したことがない。
彼の目は、横にシュッと切れたように流れていた。細い目だけれども、凄まじい目力で侍みたいだった。一度見たら、忘れられないような強い光を、彼は瞳孔から放っていたように思う。
彼は笑うと、くしゃっと目を細める。ぱっと見怖そうな見た目だけど、笑うとビーバーみたいで可愛い。
詳しい性格は知らないけれど、とにかく顔がモロに好みだった。そんな愛すべきルックスの彼が、学校を辞めるという。もう、彼の顔を拝めないのか。私は酷くショックを受けた。
それにこのままでは、私は彼にとってただの「クラスメイトA」から、ずっと昇格できないままだ。付き合いたいとまでは、流石に思わないけれども。せめて、私の存在に気づいて欲しい。
なんとかして、爪痕を残さなければ。そうだ。いいことを思いついた。ラブレターを書けばいいんだ。
そういえば、私は読書感想文で入賞したこともあるし。文章なら、そこそこ書けるはず。得意分野を活かせば、彼に気持ちが伝わるかもしれない。
思い立ったら、善は急げ。私はすぐさま、エリに相談した。
「私、彼にラブレターを書こうと思う。どう思う?」
私がそう言うなり、エリは「えっ」と目を丸くした。上述でも説明があった通り、彼の元カノはエリの親友である。この時点で、私がいかに空気の読めない女であることはご理解いただけただろうか。
ところがエリは目を輝かせて「ラブレター、いいね。でも彼、今は他校に彼女がいるみたいよ。どうする?」と答えた。エリの大きな瞳がキラキラと瞬いている。エリは、人の恋バナが大好きなのだ。
「彼女がいると聞いたので、あなたのことは諦めます。でも好きですって、彼にラブレターを書きたい」
私がエリにそう伝えると、彼女は目を潤ませてウンウンと頷く。なんとエリは私のために、書いたラブレターを代わりに渡してくれるとのこと。まさに、持つべきものは友人である。
そもそも、最初から答えの出ている告白なんて、やっても意味があるのだろうか。おまけに、相手には見知らぬ彼女がいる。
どう考えても、このタイミングでラブレターを書いて渡すのはおかしい。彼女がいない相手ならまだしも、彼にはパートナーが既にいるのだから。
それでも私は「渡したい」と、友人に伝えた。理由は、このタイミングを逃したら一生後悔すると思ったから。
友人の協力を経て、私は彼にラブレターを渡した。彼女がいることは知ってますけど、好きでした。学校を辞めると聞いて、気持ちだけ伝えたかっただけですと。一方的な思いを、自分のエゴのみで書き綴った。
数日後、友人を通じて「ラブレター、嬉しかったみたいよ。良かったね」という返事を頂いた。
私の気持ち、通じたんだ。どうやら、エリによれば嫌がられた訳でもないみたい。むしろ、すごく喜んでいたって。エリの言葉を聞くなり、嬉しさと恥ずかしさで、私は顔がクシャクシャになった。
それから暫くしたのち、彼は学校へ来なくなった。噂通り、本当に退学したのだ。彼は、元気だろうか。高校を辞めて、これからどうするんだろう。
風の便りでは、工場で働くとか聞いたけれど。仮に私が通っていた高校は進学校だし、辞めて働くのは、なんだかもったいない気もする。心配になった私は、何日かを経て、彼の家に電話をかけた。
もうラブレターを渡した時点で、何もする必要はなかったというのに。それに彼女がいる人なら、その人が彼に連絡を取るだろう。
にも関わらず、なぜかふと胸騒ぎがして「彼に連絡しなきゃ」と思った。あの頃は携帯がなく、まだ固定電話の時代。ダイヤルを回す手は幾度となく止まったし、体は西野カナの歌詞みたいに震えた。
「どなたですかぁ」
彼の家に電話をかけると、可愛らしい男の子の声がした。
「○○さんはいますか(彼の名前)」と返すと、「ちょっとまっててくださぁい」と、男の子は言った。
厳つい彼なのに、あんなに小さな弟がいたんだ。彼の小さなパンドラの扉を開いた気分で、嬉しくなった。
彼と話すのは、これが初めてだった。にも関わらず、彼は「こんにちは。久しぶりー。手紙読んだよ。俺、ラブレター貰うのなんて初めてかも。嬉しかったぁ。ありがとう」と明るい声で対応した。
まるで何度か話したことのあるようなノリではあるが、これが彼と初めての会話である。
その声を聞くなり、私はホッと安堵した。良かった。話したこともない癖に、ラブレターとか書いて気持ち悪いとか。そんな風に言われなくて、良かった。
それから彼とは1〜2時間ほど、電話で話をした気がする。内容はよく覚えてないが、確か「あの子は、本当に可愛いよなぁ」とか。他の女性の名前を出しては、彼が延々と褒め続けていた気がする。
その話を私にして、一体何の意味があるのかはよくわからないが、あまりにも楽しそうに話すので不思議と嫌じゃなかった。
電話の彼は、誰のことも悪く言っていなかったし、学校を辞めた理由についても一切話そうとしなかった。学校はとにかく楽しくて、行って良かったと。終始、彼の声は明るかった。
あの電話から数年後。私は一度だけ、彼と偶然会った。
場所は、ありふれた町のスーパー。彼はモデルのように綺麗な女性と、手を繋いで楽しそうに歩いていた。
ふと彼は、こちらを振り返る。思わず背をキュッと丸めたが、そんな私に彼はニコッと優しく笑った。
会釈された訳でも、話しかけられた訳でもないけれども。彼の笑顔には「久しぶり」と書かれている気がした。
彼に気づかれた時は、ほんのちょっとだけ「嬉しい」と感じたけれども。流石に、彼女がいる場では声をかけられないし。私は、無言のままにこりと笑った。
あれから何年かの歳月が経った頃。私は20歳を過ぎていた。
ある日、友人から「高校の先生に会いに、母校へ行こう」と誘われた。友人は高校の先生と仲が良く、どうもその人と久しぶりに会うのだと。確か、嬉しそうに語っていた気がする。
友人と共に先生と会うと、クシャクシャの表情で出迎えてくれた。昔は怖くて直視できなかったけど、大人になってから見た彼は、昔より小さく感じた。
ケラケラ笑いながら当たり障りのない話をした後、ふと思いついたように先生は「彼」について話し始めた。
「あいつ、覚えてるか。○○」
○○は、私が片思いしていた男性の名前だ。突然彼の名前が出てきたので、思わず動揺した。
「○○君、覚えてます。明るくて目立っていたし。彼がどうしたんですか?」
そう伝えると、先生から思いもよらない返答があった。
「アイツ、虐められて学校やめたんだよ」
その言葉を聞くなり、頭が真っ白になった。虐めた人物の名前もペラペラと話し始める先生に対し、思わず耳を覆った。
彼を虐めたという人物たちのことを、私は知ってる。優しいし、みんないい人ばかり。虐めなんて、絶対にあり得ない。
それとも、私が知ってる彼らは「本当」ではないのだろうか。私が見てきた彼らは仮面を被っていて、本当は違う人たちを見てきたのか。
私の知らないパラレルワールドが、あの高校にもあったのだろうか。わからない。なんだか、唐突にブラックホールへドスンと落とされたような感覚だ。彼とあの人たちの真実、知りたい。けど、知りたくない自分もいる。
今まで見てきた風景が、全部嘘だなんて信じたくない。もし嘘だったならば、ぎゅっとマジックで塗りつぶしてしまいたい。
それに人は、なんで人を虐めようとするのだろうか。私自身も、人から虐められた数は星の数ほどあるけれど。その度に「虐められる側にも原因がある」と、突き放され続けてきた。
理由があれば、人を虐めていいのか。いい訳なんてあるもんか。理由があってもなくても、それは人を傷つけていい理由になんてならないはずだ。
ましてや、学校を退学させるほど誰かを虐めて追い詰めるなんて。そんなことは、絶対に許してはならないだろう。
そもそも、虐めの話をペラペラ話す先生を。私は、どうしても信じることができなかった。それに虐め問題とわかっていたなら、先生はなぜ他人事みたいに話しているのだろう。どうして、手を差し伸べなかったのか。
そう思い始めたが、先生の話を暫く聞いてみると、どうやら彼とは何度か連絡をとっているらしい。先生は手を差し伸べなかったのではなく、なんとかしようとしたけど。
結局、何も出来なかったのかもしれない。真実を知らない人間は、憶測で動くことも、批判することも悔しいけれど。何もできないのである。
歯痒いけれど、先生の話を「そうだったんですね」としか返せなかった。そんな自分も惨めで、ちょっぴり情けない。
先生によれば、彼はクラスでもテストが1番で、かなりの秀才だったそうだ。
「学校を辞めるなんて、もったいなかったよ。アイツは。賢かったからなぁ」
そう言って、先生はふぅと溜め息をつく。むしゃくしゃした気持ちを抑え、大人になった私は「今日は、ありがとうございました」と答えた。
大人になるって残酷だ。どんなに理不尽だと思っても、空気を読むために自分を抑えないといけないのだから。
優秀で、魅力に溢れた人であっても。何かの拍子に足を踏み外すことがある。
それでも、最後に話した彼の声は、最高に明るかった。先生が名前を出した人物たちのことも、あいつはいい奴だと。一緒に過ごせて楽しかったと。
彼はそう言っていた。最後まで、ずっとケラケラと笑いながら「じゃあね」と電話を切った。だから私は先生の後日談ではなく、彼の言葉を信じることにした。
あれから再び20年以上の歳月が経ち、私は今45歳だ。ふと、彼は元気だろうかと思う時がある。
そりゃあの頃と違って、男性の好みも変わったし。そもそも、顔だけで男性を選ぶことはなくなったけれども。
今でも、背が高くて。切れ長の瞳をした男性を見ると、ふっと振り返ってしまう時がある。
そういえば、彼は幾度となく開催した同窓会でさえ、顔を出したことが一度もない。そんな時、ふと先生が話していたことは、真実だったのしれないと思い、胸がギュッと痛くなる。
彼とは、もう会うことはないかもしれないけれども。どこかであの頃みたいに、ケラケラと笑ってくれていたらいいなと願うばかりである。
【30年後の君へ】
【完】