人生が100秒だったら: 4秒目
Happily ever after
朝が来たら目を覚まし、眠たくなったら昼寝をし、天気が良ければ庭で遊び、シャベルであちこち掘り返したり、南天の実を集めたり、雨が降りそうな日は、おばあちゃんのところに行ってお話をねだったり。そのうち夜が来て暗くなって、ひとりで布団に入ると怖くて眠れなくなるまで、あの頃の私の1日は三輪車を漕ぐように順調だった。
自転車にはまだ乗れなかったから、私が行けたのは2軒先の公園まででブランコと滑り台がいちばん早い乗り物で、それが世界で、それで十分だった。
あのまま300年経って、私は304歳のおばあさんになって、夕方になったら洗い立ての割烹着を来たおばあちゃんがご飯の支度をするのをそばで匂いを嗅いだり、手伝ったりしている筈だった。
あの頃大人が買って来てくれた白雪姫や親指姫の絵本には、こう書いてあった。
Happily ever after.
ある日、母は問題集というものを1冊買って来た。それにはマルやバツや、文字がいっぱい書いてあって、私は「問題を解いたり」「正しい答えを覚えたり」するように言われた。これは絵本とは違うけど、幼稚園というところに行くためには大切なことだと母は言った。答え合わせをして大人達に褒めてもらうのが嬉しかったから、私は問題集をやった。
試験の当日、幼稚園は教会という建物の中にあって、白いベールで頭を覆った女の人がいて、たくさん答を書いてもちっとも褒めてくれなかったけど、どんなに考えても答を習っていない問題がひとつだけあった。
それは、小さな男の子が2人、向い合っている絵で、1人は穴の空いたズボンに破れたシャツ。そうそう、裸足だった。もう1人はピカピカの靴に、新しい洋服、髪の毛も綺麗にとかしてあった。2人とも表情になんの手掛かりもなく。背景も描き込まれて無く、ただ、身なりの差だけが強調された絵だったことを覚えている。
ボロボロの子の方に吹き出しがついていて、そこに「すきなことばをかきなさい」という問題だった。私は、ボロボロの子がピカピカの子に何を言っているのか、答えなければならなかった。
どうしよう。わからない。でもここで大人達をがっかりさせるわけにはいかない。ウンウン悩んで、吹き出しの中に書いた。
「がんばっておかねもちになるからそしたらあそんでね」
口の中に残った後味を言葉にすることができなかった。今でもできない。
私はお揃いの制服の胸にピカピカのバッヂをつけて、幼稚園に行くことになったのだけれど、あの時なんと書けば正解だったのだろう。
そもそも正解というものはあるのだろうか。あるとすれば、誰が作るのだろう。大人はどんな問題を作って、どんな正解を作るのだろう。
今でも考えてしまう。誇らしい制服姿の子どもを見る度に。