人生が100秒だったら: 6秒目
波コワイ
生まれてはじめての海は両親に連れられて行った、たぶん江ノ島あたり。写真に残っている赤ん坊の私はどれも大泣き。オモチャを与えても、食べ物を与えても泣き止まない私に、はじめ面白がっていた大人達は、しまいには呆れた。
こんな怖いところに連れて来られる訳がわからず(しかも遊びに行くと言って)泣いている私を見て笑っている大人達を見ながら、私はひたすら泣いた。
繰り返しやってくる波は、恐怖でしかなかった。
それから数年後、私達一家はブラジルの港町サントスというところに移り住んだ。白い石造りの家は、海岸通りから2本目。赤道直下の太陽、椰子の木、白い砂浜、石畳の模様、どこからか聞こえてくるサンバのリズム、アイスクリーム売り、サントスの海は、何もかも日本の海と違っていた。6歳になっていた私は、毎日のように海岸を歩き、海水浴をした。あれほど、怖かったのが嘘のように。
海で忘れられない景色がある。動いている波、水面から首ひとつ出しながら浮かんでいる私の目に写った景色だ。
波打ち際から始めて、おっかなびっくり海に入り、寄せる波をひとつひとつ飛び越えて行く遊びに夢中になった。足を取られたり、波に巻き込まれたりする内に、だんだんとコツが飲み込めてくる。身体を横向きにして、次の波が来るタイミングで、ピョンと跳ねるのだ。ただ、それだけ。それだけで、波は私の小さい身体をふわりと抱いて浮かばせてくれた。楽しくてひとつふわり、またひとつふわり。
足が立たなくなっているのに気がついて慌てて引き返す、その繰り返し。ぴょん、ふわっ、ぴょん、ふわっ、怖い、楽しい、怖い、楽しい、の繰り返しで、私は波と縄跳びをした。
海の中で、波は息をしていた。
私も息をしていた。
波と呼吸を合わせて待っていると、
一瞬ふわり、と私の足は地球から離れ、カラダごと次の波へと送られた。どこから湧いてくるのかエンドレスの波に。
6歳のあの海から出て、あれから地球は何回転。たくさんの波を私に送って来た。色んな時、色んなところで私に来た波は、どれも想定外。うまくぴょんできたこともあったけど、カラダごとさらわれて叩き落とされたこともあった。楽しかったこともあったけど、怖かったことも多かったな。
波に飲まれていた最中は、溺れないようにするだけで精一杯。波が通り過ぎた後、水面から首ひとつ出して「ああ、そういうことだったのか」と振り返れたこともあった。
大泣きしていた昔の私に会えたら言ってあげよう。泣かなくっていいんだよと。どんなに大きくても、やってきた波は必ず去っていくものだから大丈夫、怖がらなくっていいんだよと。
今はできているだろうか。
ぴょん、ふわっ、呼吸を合わせて。