二重まぶたスプーン作戦
朝、学校へ行く支度をしている時、母から渡されるものがあった。それは「スプーン」。お砂糖を入れたり、紅茶をかき混ぜたりするあの小さなスプーン。
私はそのスプーンを使って、左右のまぶたを変わりばんこに押し上げ押し付け、無理やり二重を作るのである。無理やりだから、スプーンをまぶたから離すとすぐもとに戻る。
当たり前だ。
遅刻しそうになると、食べかけのパンを口にくわえながら、ランドセルを肩に担ぎながら、片手に持ったスプーンでまぶたを抑えながら、走る。
思い出すだけで、冷や汗が出る。
母の発案ではじまったこの二重まぶたスプーン作戦。効果が望めないどころか、危険極まりなかったのでまもなく打ち切られたが、その後も「二重まぶた」へのあくなき追求は続く。
容姿のコンプレックス、恐るべし。
背が低い、足が短い、太っている、鼻が低い、、人それぞれ程度(深刻さ)は違えど、コンプレックスと無縁、という人はいないのではないか。
私の場合は「目」。
家族の中で「いちばん目が小さい」「腫れぼったい」と言われ続けた私は小学生の頃から目に多大な劣等感を植え付けられていた。
大学に入る頃になると、世間では「まぶたに塗って二重にする」ノリのような製品が出回った。
これだ!
涙ぐましい努力を続けること20代後半くらいまで、私のまぶたはノリでベタベタだった。
可哀想な私の顔。
ああだこうだと難癖つけられ、いじられ、私と付き合わされてもう60何年。今はもうじっくり眺めることも少なくなった。眺めることを避けたくなった、と言う方が正しい。
視力の衰え著しく、メガネなしでは自分の顔もハッキリ見えなくなって来たのは不幸中の幸かな。
そんな今日この頃、パスポート用の写真を撮る必要があって、慄然とした。昔、スプーンで押し付けても付かなかったシワは顔のありとあらゆるところに現れ、定着している。
骨格から変形していく顔は土砂崩れ状態。
好奇心が恐怖心に勝ち、(つい)歴代のパスポート写真を並べて比較してみた。
二重まぶたの話をしている場合ではない。
もうこれは私=私の知っている私ではない。
死体の確認をしなければならなかったら「こんな人、知りません!」と言ったに違いない。それくらい私の顔は「私のこうあって欲しい私」とはかけ離れていた。
ううう。
久しぶりにおのれの顔と遊んでみた。
両手を頬にあててグイと引っ張ると10年前の顔が鏡の中に出てくるが、手を離すと元どおりだ。55年前のスプーンと同じだ。何か後ろを止めるものは無いかしら。ホチキスがあるといいのに。(整形手術ではあるらしい)
引っ張って束の間、たるみが引き延ばされて口角の上がった自分の顔を見ていたら気がついた。そうか、笑っていればいいのだ。下向いてうつむいているより、口角上げてニコニコしてる方がほうれい線だって上に上がる。
いつもニコニコしていよう。
よし、これからは顔を直すより性格を直そう。
それこそもう手遅れか。