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私のSHRINE

買ったばかりの中古スバルに家財道具ぜんぶ詰め込んでRoute 101を南下した。サンフランシスコ、ロサンゼルス間、約420マイル(676キロ)。飛ばせば7時間だが、友人と2人、無理せずゆっくり行くことにした。

彼女は往復チケット(帰りは飛行機)。
私は片道。

34歳になっていた。

9年働いた会社を辞め、アメリカで心機一転。
まずサンフランシスコの小さな美大(Art School)を1年試した後、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、色々な町のArt Schoolから願書を取り寄せ、現地視察もして絞り込んだ結論だった。

Art Center College of Designでムービーを学びたい。そのためにロサンゼルス、パサディナに引っ越すのだ。

そうだ。

あの頃、目の前は行ってみたい地平線だらけだった。道はどこまでも続いていたし、私のスバルは(故障も多かったけど)アクセルさえ踏めばどこにでも連れて行ってくれた。目の前の現実より、脳内の妄想の方がずっとキラキラしてたから、何をやってもどこに行っても、不安じゃなかった。

不味いホットドッグを立ち食いしても
破れたジーンズを履いていても
すぐ壊れるボロ車に乗っていても
傘を忘れて雨に打たれても、惨めじゃなかった。脳内お花畑でいっぱいで、なんせ人生の主人公だったから。

(余談だけど、、
そういう人がいっぱい集まると空気が華やぐ、温度が上がる、風が動く。同じホットドッグを食べていても、老人ホームじゃあ、そうはいかない。たぶん。だからArt Schoolって、キラキラして見える。人生の主人公は景色だって作れる。)

というわけで

大好きだったサンフランシスコのダウンタウンから、ゆっくり9時間。1990年7月のあの日、真っ黒に日焼けした私と、私の友人と、屋根にマットレスをくくりつけた私のスバルは、パサディナに着いた。

それから13年+。
記憶は圧縮されて脳のどこかに格納される。
思いが強いほど解凍された時の容量は大きくなる。

あれ以来、何度も行き来したはずのロサンゼルス↔︎サンフランシスコ間なのに、あの日の景色がいちばん記憶に残っている。

道中のレストエリアで、サンドイッチにたかった蟻も一緒に食べてしまったり、
到着した夜、泊まったモーテルでシャワーのお湯が出なかったり、

そして、パサディナに着いた夜一泊したモーテルは、その後、パサディナに暮らす私のSHRINEとなった。

13年の間、迷った時、くすぶった時、私は車を飛ばしてあのモーテルに行った。
幾度となく。

ただ「そこにある」ことを確かめるだけ。
車から降りてみることもしなかったけど、
そこは、私にとって「初心」の住んでいる場所だった。

その間、潰れず「そこにあった」のが不思議なくらい、なんの華やぎも、お花畑もない、アメリカのfreewayのどこにでもあるモーテル。時速65マイルで飛ばしていたら通り過ぎてしまうモーテル。

後半の数年、いつ頃からか
日本に戻ることが選択肢のひとつになりはじめた頃からか私のSHRINEが、だんだんと「普通のモーテル」に見えてきたことに気がついていた。

「初心」の神通力が抜けて行ったとでも言おうか。

なるほど

景色は頭の中にできる。
一泊$40のモーテルは私のSHRINEだった。
ほかの誰にもそんなふうに見えなくっても。

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