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贈り物とお料理と

飛行機の中で見た映画だったか、
忘れられないシーンがある。

Running on Empty (邦題:旅立ちの時)
主人公のリバー・フィニックスが母親の誕生日に贈り物をするシーン。彼の家には「贈り物はお金で買ったものではなく、自分の手で作ったものでなければならない」というルールがあって、彼は海岸(河原だったかもしれない)でみつけた綺麗な石を首飾りにして贈るという話だったと思う。(間違っていたら、ごめんなさい)詳細は忘れたが、覚えているのはそのネックレスそのものより、それに添えられた言葉、相手を思う気持の方だった。

以来、誰かに何かをもらう時、誰かに何かを贈る時、私は思ってしまう。

そうか、贈ってもらうのは時間なのだ、と。

アレがいいかな、コレがいいかな、あの人コレ好きかな、、ああでもないこうでもないと「相手のことを考える」時間なのだ。私がもらっているのは、私のことを思い浮かべて
行ったり来たりしてくれた時間なのだ。

だから、
私はもらうのも贈るのも、
そんな時間が目に見えるものがいちばん嬉しい。値段の高い安いに関わらず、いやむしろ値段より、贈る人があれこれ悩んでいる顔が目に浮かぶ方が嬉しい。

ダイヤモンドより(もらったこと無いけど)嬉しいのは、河原でその人に似合う石を探す時間なのだ。

そんなことを考えていたら、
この間お料理している時、思った。

自分で作って自分ひとりで食べる料理って、
なんてつまんないんだろうって。
一生懸命作っても、食べるのはほんの一瞬。
美味しいか美味しくないかなんて味わう暇もなく、ただ流し込むだけ。

それに引き換え、相手のことを思い浮かべ、
ドキドキしながら味見する手料理には
どんな名品もお取り寄せも叶わないもうひとつの味= 時間があると思った。

できたぁ!
さあ、熱々を召し上がれ、
とテーブルに運ぶそのドキドキと
待ってました!
と皿を受け取るワクワクに優る「美味いもの」は無いのだ、きっと。
(口に入れてみて「美味しいね」となるか「?」となるか、それはさておき。)

いただくのは「相手のことを思いながら過ごす」その時間。人肌で温められた贈り物やお料理は、もらった後も食べ終わった後も、
だから、きっと長〜いこと美味しいのだ。

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