いちばん恥ずかしいこと
いちばん恥ずかしいことは、ゴミ箱の中身を見られることだと思っている。裸を見られるより。
私はずいぶん長いこと、それを仕事にしてきた。
訳わからないと思うので、説明させてくださいね。
コピーライターというものになりたての頃、
正確に言うと、広告代理店でメンターのもと、コピーライターとしての修行を始めたばかりの私が、はじめて締め切りのあるリアルお仕事をいただいた時のこと。
何日かかけてひねり出したコピー(らしきもの)を数十本、メンターの元に持っていった。
鼻の穴は広がっていたと思う。
ざっと目を通した彼はひとこと、
「この内、君なりの視点が(多少とも)感じられるものは1点あるか無いかだね。コレはどこかで聞いたことのある言い回しだし、コレとコレは同じ内容の言い換えにしか過ぎない。」思いもよらぬ反応に慌てふためく私に、たたみかけるように彼は聞いた。
「君は、どうやってコレを考えたの?」
(どうやってって?なんのことと思いながら)
ひとりで部屋に閉じ籠り、ひとりで考えましたと答えた私に、彼は言った。
「君はコピーライター(になりたいの)でしょう。どうして君のパートナー(デザイナー)の盛田君と話してみなかったの?」
考えたこともなかった。
私は盛田君にはなんの関心もなかったし、
まして彼と話し合って、コピーが書けるようになるなんて夢にも思っていなかったから。顔を洗って出直してこい、とメンターから言われた私は「私がバカにしていた」(あ、言ってしまった)盛田くんのもとへ飛んで行って、頭を下げた。
ああでもないこうでもないと、侃々諤々。
2人の頭の中身を洗いざらい、いいことも、恥ずかしいことも全て目の前にさらけ出す作業を◯時間。するとあら不思議。自分ではゴミだと思って捨てていたものを相手が面白がって拾ってくれることも(またはその逆も)。
結果は思いもよらないものだった。
やっとのことで数本のコピー=新しい視点をメンターの元へ持って行くことができた私は、本物のバカ=自分だったことを思い知らされた。痛いほど。
奇をてらった言葉遣いや、使い古された美辞麗句、新しいだけの流行り言葉がコピーライティングではないことを気付かされた、あの日がコピーライター修行はじめの一歩。
コッパみじんだった。
20代の根拠の無い自信なんて、
ものの見事に化けの皮が引っ剥がされた。
と同時に、
興奮の連続だった。
こんなに楽しいこと、あっていいのかと、我が目を疑った。
お互い脳の中身(ゴミ箱の中身)をさらけ出して、相手と向き合うクリエイティブ作業は、それまで体験したどんなことより楽しかった。ちっぽけなプライド=エゴを捨て去った、ごまかしの効かない、裸と裸の作業。
(そうでなければ新しいものは生まれない。)
あっ、何かに似てる、と私は思った。
セックスだ。
似てるというより、そのものじゃないか、
と思ってしまった。(気取ってる場合じゃない)
自分という存在を丸ごと明け渡し、相手という存在を丸ごと受け入れる。裸を見られ、ゴミ箱の中身をさらけ出した後に、イケル世界。そうか、恥ずかしさと快感はいつもコインの裏と表なんだ。カラダのエクスタシーも、脳のエクスタシーも同じ?と思ってしまった。
そうなったら、中毒。
これはもう治らない。
内心、良いものにかかってしまったと。
一生コレをやっていられれば、なんてハッピーなんだと、興奮した。
というわけで
それ以来、自分ひとりでは決して行き着くことのできない世界に行くことを人生の目標にしてしまった、私。
コピーライターとアートディレクター、
映像の演出家とシネマトグラファー(撮影監督)、
作曲家と作詞家、
テクノロジーとクリエイティブ、、
組み合わせは無限大。
見渡せば、世界はセックスで溢れている?
異なった文化同士もいいかもしれない。
一見不釣り合いに見えるほど、核融合が起こった時の破壊力は凄まじいのでは?
あの危ない(楽しい)気づきから数十年。
年齢は(こそ)関係ないと信じてきた。
私はまだ受け入れてもらえるかしら?
年を重ねたエゴがガチガチに固まって邪魔していないかしら?
言うまでもなく、
恥ずかしくって楽しいこの行為、
ひとりでは成立しないのですから。