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名取 道治 Michihari NATORI
2022年1月26日 09:17
母のいない私からすると、日本庭園の橋の手前にある、丸まった人のような花崗岩に、母というものが見えていた。この家を取り仕切る父の母、つまり、私の祖母に、服従を見せるような気弱さが、花崗岩の模様の震えに表れているとさえ思っていた。 私には、この花崗岩が、母に思えてならない。そんなことは、おおよそ、馬鹿げたことである。だが、私は、子供のころより、小川の流れる日本庭園で遊ぶとき、庭園はだだっ広いにもか
2021年2月27日 17:05
四人の子は、空き地につどってから、父と母の悪口をいった。それから、自分たちは、かならず、父と母より、すばらしい教育をすると、誓いあった。四人は、八歳の小学二年生である。しかし、切なく笑えるほど、四人は垢ぬけていた。それは、たぶん、四人のあいだで疑問をもちより、議論につばをはきあい、世のたいていの嘘をあばききったからだった。 四人の子は、三軒ずつが向かいあう区画で、四隅の家に分かれて住んでいた。
2021年2月27日 17:00
電車ごっこではなく、「汽車ごっこ」と題したのも、いくらか理由あってのことだった。 一九三二年、文部省が「電車ごっこ」という文部省唱歌をあんでいた。なんでも、尋常小学校一年生むけの歌である。 電車ごっこ 運転手は 君だ 車掌は 僕だ あとの四人が 電車のお客 お乗りは お早く 動きます ちんちん 運転手は上手 電車は早い つぎは上野の 公園前
2021年1月30日 00:24
硯に筆をたっぷりとつけ、四度の深呼吸、十五度ばかり身を屈め、半切の和紙、かるくおさえる。「……快刀乱麻」 これからしるす四字である。男は、おのれの恥をすすぎ、死ぬために書くのである。その悲壮な信念に、まともな同情が得られるほど、世は清潔ではなく、堕落していて、手狭ではあるが、やわらかいものを食べ、ふんわりしたものにうたた寝できるほど、平和な世になっていた。してみるに、この世からすれば、死ぬこ