哲学:現代思想の問題点③ウィトゲンシュタイン
§3 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(1889~1951)
「語りえぬものについては、沈黙しなけなければならない」(注27)
これはウィトゲンシュタイン(注28)の『論理哲学論考』(注29)の第七命題だ。
有名な文言で、これほど、文脈から切り離されて、独り歩きしたものはないかもしれない。
『論理哲学論考』は、七つの命題を立てて、それについて、メモ書きしていくスタイルで書かれた著作だが、第七の命題だけ、サブ命題、下位命題がなくて、ただそれだけ書いてある。この異様さが、目を引き、また本の最後に、ポンと無造作に書いてある事から、強烈な演出効果も相まって、人々の想像力を刺激した。
この「語りえぬもの」とは、何なのか?それが問題となるのだが、何も書いていないので、各自で想像して補うしかない。そこで思い起こされるのが、やはりカントの提案だ。神、霊魂、霊界などは、学問の対象として取り扱わないという議論だ。この連想は、文脈に合うように思われるし、本の内容とマッチしている。一つの推論に誘導される。
『論理哲学論考』は、第一次世界大戦の塹壕戦の中で書かれたと言われ、一種の極限状態で書かれた著作だと思われるが、内容は記号論理学の話で、戦場の気配は特に感じない。哲学が論理学となり、数理や記号という理性的かつ現実的な姿で、生き残ろうとしている姿が読み取れる。哲学はもう数学の親戚となり、区別が付かなくなった。
これが、ヘーゲルが言う「理性的なものは現実的であり、以下略」がもたらした結論の一つであるならば、哲学は死んだと言っても過言ではないだろう。記号論理学は、数学もしくはITに組み込んで、扱えばいいと思う。
だが「語りえぬものについては、沈黙しなけなければならない」は、その格好良さも相まって、現代の作法として、定着しつつある。神について、霊魂について、霊界について、語る者がいたら、あたかもマナーに反しているかのような空気が漂う。現代だ。古典古代のソクラテスが見たら、例によって、戦場で気絶して見せるだろう。
中国の古典だが、これと似た文言がある。孔子の論語「君子、怪力乱心を語らず」だ。これも問題と言えば問題だが、現代中国で、共産党が一党独裁を維持できている淵源にもなっていると思う。一切の神秘性を廃して、独裁者が地上の神になる時、これほど天の意志を阻害するものはない。無論、これも本人から切り離されて使われている。
このように、ウィトゲンシュタインは、論理実証主義で、『論理哲学論考』だけ読むと、理性主義の人なのかと思うが、実際はかなり違う。実はこの人は信仰者で、キリスト教徒としては、カントやヘーゲルより、真面目だったかもしれない。本気で魂を救済するために、どうすればいいのか日々考えていた。そういう著作も残っている。
しかしその一方で、主著で、「語りえぬものについては、沈黙しなけなければならない」などと、名言を残すので、始末に負えない。ウィトゲンシュタインの人となりを知らず、『論理哲学論考』だけ読んで、満足するならば、誤解が生まれる。だが『論理哲学論考』以外も読めば、気が付くかもしれない。しかしこれ一冊の人も多い。
またウィトゲンシュタインは、才気溢れる変人だった。エンジニアでもあり、工学系の才能もあり、設計図を引いた図面が数多く残っている。だがウィトゲンシュタインは、こういう知的活動の中で、師であるバートランド・ラッセッル(注30)を困らせるような奇行を、度々繰り返している。自殺願望があり、夜中、何度も師の家を訪れていた。
ウィトゲンシュタインは、理性の人というより、魂の人だった。本気で、福音書を読み、魂の救済を求めていた。そして周りの人びとにも、それは語っていた。この人となりと、『論理哲学論考』はかなり落差がある。本だけ読んで分かる人ではない。そのくせ、著作では、普段の本人と真逆とも取れる発言をする。天邪鬼か。
師ラッセッルも大物だった。弟子ウィトゲンシュタインの面倒をよく見ている。豪放磊落で、器が大きい人だった。ある時、アインシュタイン(注31)と一緒に、原水爆反対運動をやっていたら、マスコミから「どうしてあなたは、原水爆反対運動をやっているのですか?」と訊かれて、「年を取って、頭が悪くなり、学問ができなくなったからだ!」と答えている。危うくアインシュタインも、一緒にされそうになったのかどうかは、定かではない。
ラッセッルは、なぜ「1+1=2」なのかという事について、大著を残したり、面白い取り組みをする人で、ウィトゲンシュタインと親和性が高い。哲学を数理に近づけて考え、そういう著作を残した。時代は、完全に数理を扱う事が最先端とされ、またそれが理解できる人間が求められた。そこで人は、言語と数理の間で引き裂かれ始めた。
ここに、英語から派生したITの人工言語が、出現した経緯もある。言語と数理を融合させつつ、人間が求める仕事を機械に指示し、お互いが理解できるもの。それが人工言語で、その誕生には、英語が母親となっている。
フランス語から人工言語は最初に誕生せず、英語から最初に誕生したのは、やはり理由がある。文法構造だ。英語は自然言語でありながら、人工言語的な側面を持っている。品詞だ。一つの単語が、形を変えず、複数の品詞(名詞・動詞・形容詞)を表せる。こんなに関数的な自然言語は、世界に他にない。余談だが、面白い例を出す。
以下の英文を、コンピュータに翻訳を依頼すると、英文法上、五通りの意味があると言う。
Time flies like an arrow.
➀時は矢の如く飛ぶ(光陰矢の如し)
≒ユークリッド幾何学的≒自然数の世界≒直接見て理解できる世界
②矢を測るように蝿を測りなさい。
≒ユークリッド幾何学的≒自然数の世界≒考えて理解できるが無意味な世界 ③矢が測るように蝿を測りなさい。
≒ユークリッド幾何学的≒自然数の世界≒考えて理解できるが無意味な世界
④矢と似ている蝿を測りなさい。
≒非ユークリッド幾何学的≒虚数の世界≒AIによる出来損ないの画像の世界
⑤Timeという蝿たちは矢が好きだ。
≒非ユークリッド幾何学的≒虚数の世界≒完全に理解できない数理の世界
自然言語の理解では、➀しかないが、人工言語的な理解では、②から⑤も在り得る。これが、コンピュータが考える世界で、その一例だ。コンピュータは、三次元の自然世界を見ていない。数理で構成された論理世界に存在する。だから論理が成り立てば、何でも解となる。特に⑤は、そんな蝿は存在しないので、完全に仮想世界だ。
これは元々、渡部昇一氏(注32)の英語学の議論だが、大幅に追記させてもらった。言語と数理の関係、英語が人工言語になり得る性質をよく表しているからだ。英語は、低地ドイツ語から派生した言語だが、1000年間で、劇的な進化を遂げて、最終的には人工言語の扉を開いた。だからアングロ・サクソン系が、今の世界を支配している。
この流れも、歴史の中で生じてきたものだが、哲学の理性主義と親和性が高く、理性主義と人工言語は、合流しつつある。両者の震源地はドイツだが、今はアメリカ・イギリスが主導権を握っている。南の温かいロマンス系言語ばかりやっていると、北の寒いゲルマンの森から生まれたものを見落す。だからフランス語は、何の役にも立たない。
確かに数理の世界は面白い。仮想的で、ゲーム的だ。だがこの星の自然環境ではない。歴史はこの星の自然で展開される。それが神の計画だからだ。だから、どれほど素晴らしく見えても、数理で構成された仮想世界は本物ではない。人間の感覚器官に現象を与えたとしても、それは叡智界、物自体の世界から来るものではない。偽情報だ。
だが人類は、この方向に進みたがるだろう。それは仕方ないかもしれない。歴史とは、とりあえず、全部のルートを試したくなる衝動でできているからだ。これは人間の思考が、そう望むようにできているとしか言いようがない。だがその行き着き先が、どのルートでも、バッドエンドであるならば、回避するべきだろう。
繰り返しとなるが、過度な理性主義、理性をあまりに信用する事は、危険な事だ。戒めるべきだろう。因みに、ウィトゲンシュタインの遺言は、「素晴らしい人生だったと彼らに伝えてくれ」(注33)だそうだ。この最期の言葉は、単なる理性主義者の言葉ではないだろう。宗教的人格も、併せ持っていた事を伺わせる。
20世紀の哲学は、ラッセルとウィトゲンシュタインに代表される分析哲学、そしてマルクス主義、さらに第三極として、ハイデッガー(注34)に代表される実存主義がある。前者と後者はすでに触れたが、この最後の哲学についても、触れておきたい。ハイデッガーは、ドイツ観念論以降のドイツで、最大級の哲学者と言われているからだ。
ハイデッガーの主著は『存在と時間』(注35)だと言われる。有名な哲学書だ。カントの『純粋理性批判』より、広く読まれている可能性がある。思索の森に入りたい読書人は、必ず通過する道だと言われている。この本は、存在論を扱っている。ギリシャ哲学に始まる存在論を、ハイデッガーは、ドイツ語の森の中で、深く読み込んで行く。
ハイデッガーは造語が多く、極めてドイツ的だった。世界で一番の言葉は、古典ギリシャ語で、その次がドイツ語だと言うぐらいなので、原理主義者、民族主義者に見えなくもない。そしてナチス党に入るという過ちも犯している。戦後公職追放で、暫くの間、ナチス入党の件について、沈黙を保っていたが、ある時、雑誌で弁明した。
結局、ハイデッガーが、全体主義に加担したのは、理性主義ではなかった。民族主義だった。ナチスは極めてドイツ的な一面があり、そことハイデッガーが一致してしまった。思想面で共鳴してしまったという事だろう。大学の学長として、ナチズムを根源的な運動と発言した事は、生涯汚点として残っている。
あともう一つ、ハンナ・アーレントとの不倫もある。大学教授と女子大生の情事だ。1924年秋の話だ。世紀の不倫かもしれない。アーレントは、ケーニヒスベルク出身のドイツ系ユダヤ人だった。だからドイツでナチズムが勃興すれば、逃げるしかなかった。だがそれより前に、ハイデッガーとの関係は、とっくに終わっていた。
晩年、ハイデッガーは第二の主著『哲学への寄与論稿』(注36)を書く。古代ギリシャからニーチェまで続いた西洋哲学は終焉を迎え、これから全く新しい別の元初を切り開いて、最後の神のために、深淵の前で、大いなる静けさを創造しないといけないと説く。これは理性主義でもないが、神秘主義でもない。この最後の神とは、一体何か?
最後の神は元初だと言う。元初が道を切り開き、最後の神が立つ。αにしてΩだ。これは文明の創造論だ。
注27 『論理哲学論考』L.ウィトゲンシュタイン著 坂井秀寿訳 法政大学出版局1968年 p200
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.(原文)
注28 Ludwig Josef Johann Wittgenstein(1889~1951) Österreich England
注29 『Logisch-Philosophische Abhandlung』Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1921
『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン1921年
注30 Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell(1872~1970)England
注31 Albert Einstein(1879~1955) Deutschland America
注32 渡部昇一(1930~2017)日本 上智大学 ミュンスター大学 哲学博士
注33 Tell them I've had a wonderful life.
注34 Martin Heidegger(1889~1976) Deutschland
注35 『Sein und Zeit』Martin Heidegger 1927
『存在と時間』マルチン・ハイデッガー著1927年
注36 『Beiträge zur philosophie』Martin Heidegger1989
『哲学への寄与論稿』マルチン・ハイデッガー著1989年
④に続く
哲学:現代思想の問題点④ゲーデル
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