見出し画像

『現代思想の遭難者たち』ノート

いしいひさいち著
講談社刊
 
 漫画家いしいひさいちが描く漫画パロディである。実に面白い! 読んでいて吹き出すこと請け合い。名だたる現代の哲学者が〝いしいワールド〟に取り込まれておちょくられている。哲学者の顔も特長を捉えていて、一見して名前が浮かんでくる。
 カバー表絵には、漂流する34人の哲学者が描かれており、裏絵には助けを求めるデカルト、カント、ヘーゲルが描かれており意味深だ。
 帯には「第7回手塚治虫文化賞(短編賞)堂々受賞!!」とある。
 
 この本は、講談社刊の『現代思想の冒険者たち』全31巻(1996年5月~1999年3月刊)の月報に掲載されたものに、書き下ろしを多数加えたもので、漫画の横には真面目な(!)注釈が書かれてあって、漫画と一体になって思想のエッセンスを的確に捉えており単なるパロディではないところが素晴らしい。筋書きに破綻もなく、これには哲学の先生たちも脱帽だろう。
 
 第1章の「超えゆく思想家たち」で、最初に取り上げられているのは『存在と時間』で有名なドイツの哲学者のハイデガー。国家社会主義ドイツ労働者党(いわゆるナチス党)に入党し、ヒトラーへの協力者となり、また自分の教え子であり、後に哲学者として有名になったユダヤ人のハンナ・アレントとの私的関係でも有名である。
 2番目はユダヤ人で「現象学」を確立したドイツの哲学者フッサール。ナチス支持を表明した愛弟子のハイデガーに絶縁状を叩きつけた。
 3番目はオーストリア・ウィーン生まれの哲学者・ウィトゲンシュタイン。学生時代に師であるバートランド・ラッセルと交わした「この部屋に河馬はいない」という言辞を巡っての議論を取り上げている。この命題を〝真〟とする事実は存在しない。部屋にあるものに河馬が含まれていないことを示そうとしても、それはあるものがあることを語るのみであるという。
 ラッセルはウィトゲンシュタインと会って約半年後、「ウィトゲンシュタインが自分よりもうまく仕事をこなすだろうから、生きる意欲が薄れてきた」と恋人宛の手紙に書いたことを取り上げている。
 
 第2章は「疾駆する思想家たち」としてフランスの社会学者であるクロード・レヴィ=ストロースや哲学者であるミシェル・フーコーが取り上げられている。フーコーの「砂に書いた絵」の箇所では、いしいひさいち(〝いしい被災地〟となっている)本人が登場し、フーコーはいしいに向かって、「オリジナリティは幻だ。作家は作品を創作したと思い込んでいるが、それは受け取った影響の集積と通過に過ぎない」と言い、それを聞いて、いしいは、「そうだったのか。通過点だからボクの連載はすぐ終わるのか!!」と早とちりして納得するが、フーコーは「それは単なる業界の力関係だけ」といしいの後ろでつぶやくなど、作者自身もパロっているのがまたこの作者の面白いところだ。
 
 第3章は「彷徨いゆく思想家たち」でこれまたフランスの哲学者のジョルジュ・バタイユやドイツの哲学者であるヴァルター・ベンヤミンや先ほど出てきたハンナ・アレント、第4章は「一人ゆく思想家たち」として英国の哲学者で数学者のホワイトヘッドや哲学者であるカール・ポパー、そして『薔薇の名前』で有名なイタリアの小説家であり哲学者など多方面で活躍したウンベルト・エーコらが取り上げられている。
 
 ということで、この原稿を書くために再読したのだが、この本を読んで、哲学が好きになるかどうかは保証できない。ただしこの本の面白さを共有できない方とは友だち付き合いはしたくない……ような気がする……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?