天蚕(ヤママユガ)が繋ぐ邪馬台国と日本書紀と三国志!? by 門外漢の東大生(簡易まとめと追記あり)

(21日の追記)

(noteの使い方になれていないので、いずれ清書します。これは、最初に思いついたときのツイートのメモです。)
読みやすくまとめた記事はこちら。こちらだけ見てくだされば大丈夫です。
(より詳しい内容、年表、メモ付き)

清書したバージョンの、こちらからご覧ください!!!!

(20日の追記)
投稿時点は学説のつもりで書いて、「研究者がファンタジーに手を出して信用を落とさないか?」と不安でしたが、相談したところ「趣味と研究はどちらも大切」「養蚕ファンタジー」と捉えて貰えたので安心しました。
そのため、本文の論調と異なります。

(この記事は、本日(2022年1月19日)にSNS投稿した記事のコピーです。
深夜0時から5時ぐらいまで書き、そのまま投稿したので内容、文体など全く整理されていません。)

門外漢の理系東大生による、『ヤママユガ』で邪馬台国の正体を解き明かす歴史ロマン!(長文)
【新説:邪馬台国は渡来人によるヤママユガの国!?日本書紀の常世神はアゲハチョウではなく、卑弥呼!?】

皆様、こんにちは。#東京大学 昆虫遺伝研究室 博士課程1年 大津高志 です。テレビなどでご存じの方はお久しぶりです。
私は、現在 #カイコ の遺伝子の勉強をしています。昆虫遺伝研究室とは、少し前には養蚕学研究室であり、幕末から日本の輸出品であった #生糸(#シルク #絹)を生み出すカイコの研究をしています。
学部3年の頃に受けた、昆虫遺伝研究室によるカイコの遺伝子の授業が面白かったこと、昆虫食に関心が当時からあったことから、学部4年生から現在まで昆虫遺伝研究室に所属しております。

理系のため、歴史は全くの専門外です。

しかし、研究を続けるうちに、現代の養蚕だけでなく、#古代 や明治から戦前、さらには中国の養蚕資料を集めるようになりました。

最近体調が悪く、研究に身が入らず、リフレッシュに養蚕の #歴史 を調べたり、#三国志演義(中国の古代の英雄たちが天下を取るために戦う物語、諸葛孔明の活躍が有名。)のゲームを遊んだりしています。
現在、養蚕の歴史を調べているうちに、パズルのピースが埋まるように #妄想 #ストーリー が生まれたので、長いですが、ご報告させてください。

(ヤママユガ・天蚕とは、カイコと近縁の大きな蛾です。美しく大きな緑色の繭を作ります。かつては所属研究室でも取り扱っておりました。)

#蚕  #天蚕 #邪馬台国 #常世神 #渡来人 #養蚕 #日本書紀  #三国志 #卑弥呼

【新説(珍説):
『日本書紀』の『常世神』で出てくる虫はアゲハチョウではなくヤママユガである。
『邪馬台国』は近畿にあり、中国東北部、遼東の『公孫淵』と同じくヤママユガの養蚕を行っていた。
『公孫淵』の子孫とは伝えられる渡来人『常世氏』は『ヤママユガ(天蚕)』タイプの養蚕を行っていた一族であり、『常世神』の信仰を広げた東海地方の『大生部多』と同じ一族である。
『常世神』は『常世氏』の『常世岐姫神』である
『邪馬台国』の卑弥呼は、ヤママユガの養蚕に関わっていた。または『常世氏』の神として祀られている『常世岐姫神』そのものである。


(年表があればわかりやすいのですが……突然の思いつきで、急いでまとめているため、申し訳ありません。また、「ヤママユガ」「天蚕」の表記ゆれや、特に 「書いている途中に考えが変わったこと」 などがあります。いずれ校正します。noteなど、目次があったり修整できたりする、他の媒体での発表のほうがよろしいでしょうか。Facebookは普段使わないため、わかりません。)
(流石に「邪馬台国」のヤマとヤママユガのヤマは同じ!とかの駄洒落ではありません。)

以下の「弁明」から★マークまでは感傷的に書いたため、飛ばしてください。

弁明

この文章は、2022/1/19の0時に突如思いついてから書き始めて、4-5時まで書き続けています。
そのため、本文序盤は読みやすくしたつもりですが、この「弁明」以下の後半は口調が砕ける、脱線するなど文体が壊れます。
できる限り自分の発想を社会に広げたいという欲が原因です。

また、この投稿の主題である仮説の多くは、類似する先行研究を見つけることができませんでした。そのため、邪馬台国と中国史(三国志など)と日本史(日本書紀)を天蚕ヤママユガで結びつけて、皆様方の心に「養蚕」という言葉を残せれば、科学者としての研究という形ではないですが幸いです。

本日は、責務である科学研究ではなく、社会への反響を狙うために、このような仮説を公開させていただきます。
参考文献などフォーマットが揃っていない、普通のFacebookの投稿です。

どうか、よろしくおねがいします。



免責事項:この投稿の責任と情報源は、私「大津高志」個人に属します。東京大学、昆虫遺伝研究室など所属機関の意見ではありません。


★★★★★★★

まだまだ資料不足(魏志倭人伝の『倭錦』の再検討、中国の遼東にヤママユガが分布しているのか、遼東の天蚕飼育の歴史、近畿より東の絹の出土品はいつ頃から出たか、など)なので、議論、反論、コメントよろしくお願いします。

・前提知識 『常世神』とは

「常世神」信仰は「#日本書紀」の記述。皇極天皇の時代(644年らしい)。東海地方で「大生部 多」なる人物が「儲かる」として #アゲハチョウ みたいな幼虫を「常世神」として集めさせたらしい。都まで広がってきたので、秦氏の秦河勝が排除。

当時の人は秦河勝をこう評している。
「秦河勝は、神の中の神と言われている 常世の神を、打ち懲らしめたことだ(Wikipediaのコピペ)」
#神  ?いかなる神なのか?すぐに滅んだ新興宗教なので他に記述はありません。謎です。

日本書紀で、滅ぼしたものが「神の中の神」と呼ばれた神様なのに、「常世の神」自体は、祟り神や悪神としてすら信仰が残っていないのはなぜ?
そもそも日本には「アゲハチョウ信仰」なるものが他に存在せず、橘を通して考えるのがスタンダード。橘無しでは「常世神」は「常世」たり得ない?

(#秦氏 は養蚕を伝えた、秦の始皇帝の子孫(特に始皇帝の祖先の中でも功満王、功満王子が祖。秦氏がカイコ関係の一族で日本に養蚕を伝えたのは功満王というのは(多分養蚕の世界の人達では)よく知られた話です。それを記念して、伝来の地、今の下関の忌宮神社では毎年蚕種祭があります。)

アゲハチョウの神様とは変な話。常世の神のことを聞いたときは思っていました。しかし、マイブームの三国志(公孫淵)と、養蚕や生糸の研究(#纒向遺跡 まきむくいせき の出土品)を結びつけると一つのストーリーが組み合わさって浮かび上がりました。

・『常世神』はアゲハチョウではなくヤママユガ!?

邪馬台国・または近畿王朝は中国遼東から伝来した、「ヤママユガの養蚕」をしていたのでは?

カイコは #黄河 流域の #仰韶文化 の時代(5000年前ほど、出土品とカイコと野生種のクワコのミトコンドリアDNAによるデータでも支持されている)、#殷 など中華文明で都(洛陽など)とされた地域で家畜化されたと考えられています。
ヤママユガは(地理はよくわかりませんが)日本だけでなく、朝鮮半島や遼東にも分布しているらしいです。(あと、韓国で遺伝子とゲノム研究が盛んだとか?)。

・「『常世神』が天蚕の幼虫である根拠は?」

ヤママユガは、シルクのダイヤモンドとも呼ばれる美しい緑の繭を作ります。現代でも長野県の安曇野で技術が保たれています。

また、常世神への信仰は東海地方で産まれて、秦氏の討伐の時点では、都では広まっていません。また、「アゲハチョウもヤママユガも幼虫の色は緑です。」日本書紀のライターはそこで、「緑の芋虫」からの伝言ゲームで「橘を食べるあの芋虫かな」と間違えた内容を記録したのではないでしょうか。
また、天蚕はカイコと違って野外で生きられるため、#繭 を「集める」こともあるとか。実家のグレープフルーツのように、#橘 #みかん に産卵して葉っぱをたくさん食べるアゲハチョウの幼虫を集めるなら、常世神の信者たちは橘を植えた、などの記述があるのではないでしょうか。逆に、広食性の天蚕なら新しく木を植えなくても雑木林から繭を取ってくれば良い、いやむしろ美しい繭だからこそ、集めたくなる……

・邪馬台国とされる #纏向遺跡「日本の天蚕」

日本の歴史では、カイコの歴史は天照大御神のお話など神話から伝説が多数ある中で、天蚕は飼育や継代・純系化が難しいためか、江戸時代の『山繭養法秘伝抄』など地域活性化に使われるくらいです。(戦前の中国東北部、満洲国などの養蚕はよく知りませんが、確か、そこでは天蚕やその仲間のサクサン( #中華料理 の #昆虫食 で『蚕の蛹』として串焼きを食べられることで有名)を育てていたとか……)

『魏志倭人伝』では倭のたくさんの国の中で、邪馬台国の卑弥呼は『親魏倭王』の称号を手に入れました。魏は三国志の魏(曹魏)です。
京都工芸繊維大学の布目順郎先生の研究では、魏志倭人伝(3世紀)の時代には近畿ではカイコの絹が発掘されていない、逆に九州では佐賀県有田遺跡で紀元前からカイコの絹が発掘されていると示して、まとめています(1995年の『倭人の絹』など)。

三国志の『魏志倭人伝』でも「桑蚕(桑・カイコの餌となる唯一の木、カイコそのもの)」と紡績、機織りをしていたと伝えられています。あと卑弥呼は「倭錦」を魏へ貢いだとか……

自分はそのため、「カイコがいるなら邪馬台国は九州!」と信じていました。

近畿でも「卑弥呼の都」とされている『纒向遺跡(まきむく いせき)』がありますが、ここからはカイコの絹は出ていません。ただし、天蚕の紡ぎ糸の巾着らしきものが出土しています。

※単語説明
布目仮説によると、古代日本の蚕は『楽浪系(だいたい朝鮮半島タイプ。家畜化された祖先の形質に近い。明治くらいまでの朝鮮半島伝統の小さなカイコ。専門用語だと三眠蚕。)』『華南系(日本書紀の「呉」と呼ばれていた地域など、長江領域に適応した品種。一般的なサイズのカイコ。 #小石丸 や小石丸の糸で復元された正倉院の時代の絹製品もこのタイプのはず。専門用語だと四眠蚕、スタンダード。)』に別れるとか。

(ちなみに朝鮮半島でも残念ながら伝統品種の『楽浪系』に分類されるカイコ、三眠蚕は育てられていないらしい。『華南系』やその他のスタンダートのカイコ(四眠蚕)には、糸が細いという魅力よりも、糸の量などメリットが多いから?)

これについて九州邪馬台国説をとっていた過去の自分は当時の日本の大国には3タイプの絹があると思いました。

1. 「九州の大和朝廷(大和朝廷は「秦氏」から後の時代のカイコよりも糸の量が少なく、さらに細い『楽浪系』のカイコの蚕種を下関の豊浦宮、今の忌宮神社で珍宝として扱っている『日本三代実録』から大和朝廷にはその時まで『華南系』カイコはいなかった?)
2. 「九州の邪馬台国(当研究室のかつての布目成美教授の説によると、日本種のカイコは長江の俵型の繭を作る品種から来たとか、倭錦や魏志倭人伝も一般的にはこのタイプとされている?)」
3. 「幻の近畿ヤママユガ文明」

しかし、『常世神』がヤママユガなら「邪馬台国は近畿でもありえる、どころか物的証拠がある」ため話は変わります(大和朝廷と『楽浪系』『華南系』カイコについては別の考察が必要になりますが、まだ考えていません)。

しかも、近畿の邪馬台国は直接的に遼東のヤママユガの養蚕を引き継いでいる可能性さえあります。

なぜなら、邪馬台国と遼東の燕王公孫淵は関係があるからです!

・邪馬台国と「燕(遼東)」を繋ぐ、「魏志倭人伝」と「晋書」

三国志の『魏志倭人伝』とその次の時代の『晋書』の記録では、公孫淵が滅ぼされた翌年に倭人が朝貢に来たことが書かれています。
さらに、『晋書』では倭人の記録に魏の軍を率いる『司馬懿(子孫は後に魏にクーデターを起こして晋を建国する系統の司馬氏、つまり晋の実質的始祖で宣帝と呼ばれる)』の遼東の『燕王・公孫淵』討伐で魏への卑弥呼の話が出てきます。

(大和朝廷はこの場合不明。三国時代だと呉に朝貢していた異民族の記録がないこと、日本書紀(雄略天皇と『宋書倭国伝』の倭王 武の話)に同地域の別の王朝を「呉(国名でもあるが地名でもある)」と呼んでいる。何らかの関係が?)

・「常世神」を崇めた「大生部 多」は東海地方の「壬生部」?

(この辺の情報が曖昧です。)
どうも「大生部」は「壬生部(みぶべ)」のことだと言うようです。そして、平安時代の近畿の貴族たちの家系とその祖先をまとめた『新撰姓氏録』では、景行天皇関係の一族が平定した相手として、大生部多と同じく東海地方の壬生の人が、大和朝廷にかなり反抗的だったと書いています。

(妄想ですが)この一族は、何らかの大きな勢力( #豪族 )だったのではないでしょうか。そして、常世神信仰を広めた大生部多の一族だった……?
「壬生部」の一族が何者なのかは、わかりません。

・「常世神」ならぬ「常世氏の神」なら現存!『常世氏』とは?三国志の燕王・公孫淵とその子孫

「常世」とは永遠とか異郷とかそういう意味らしいです。「常世」は永遠に変わらない、不老不死に結び付けられる橘のイメージが強く、「常世神」は橘と不老不死の関係で語られることが通説らしいです。

逆に、「常世神」の「常世」が異郷の意味だったら?
同じく「常世」と呼ばれている人たちが同じく『新撰姓氏録』などにいます。
それは、すでにおなじみ?遼東の公孫淵の子孫、「常世氏」、そして「赤染氏」。赤染とは布を染める技術。赤染氏の一部が常世氏になり、この一族は、はっきりと『燕王公孫淵(の後なり)』と書かれています。(大和朝廷も公孫淵を燕王として認めているわけですね。)

ではなぜ「常世」という氏をこの一族は。与えられたのでしょうか。別名、彼らが崇める神など色々考えられますが由来は多分、常世氏・赤染氏が「常世(異郷)」である遼東の一族だったからではないでしょうか?

常世氏・赤染氏の神社は、「大阪府八尾市神宮寺」にある常世岐姫神社(とこよきひめじんじゃ)です。別名は八王子神社。
ここの神社の祭神は「常世岐姫命」。燕王公孫淵の祖神か一族のことらしいです。女神でしょう。

「常世神」と「常世岐姫命」、無関係でしょうか?ちなみに今は安産の神様らしいです。

「常世神」≒「常世岐姫命」は天蚕そのもの、(『養蚕秘録』などで有名な常陸の金色姫伝説のように)天蚕を擬人化した神、(カイコの西陵氏のように)天蚕からの養蚕を生み出した神、(天照大御神のように)、天蚕の繭から糸を引き出すことを教えた神……いろいろ考えられますが、「常世神」は天蚕の女神だと思われます(天蚕の養蚕も女性の仕事?)。
(そもそも天蚕を祭る神社ってあるのでしょうか?)

(卑弥呼は女王なので女性。男性の王だと国が荒れた。女性は神功皇后の神がかり伝説みたいにシャーマンだから、らしいけれど……?)
(まさか卑弥呼も天蚕の養蚕をしていた女性だから?そもそも卑弥呼は燕に朝貢していたどころか一族で結婚して同じ一族になっているとかで、「常世神」そのもの?)
(そうすると『常世神』ってアゲハチョウの幼虫どころか卑弥呼本人!?)

(そういえば、前漢と後漢の間に「新」という帝国を一応立てた「王莽」なる人物がいます。漢はすぐに漢の高祖・劉邦の子孫である「劉秀(光武帝)」に取り戻されます。光武帝は漢奴倭国王金印でおなじみ……?)
光武帝といえば小説「草原の風」、積んでいる……
光武帝は漢を取り戻したにしてはちゃっかりしていて、後漢の都は前漢の都の長安に戻さずに、王莽が選んだ洛陽に。王莽は長安を常安に改名する、異民族の呼び方を卑しくする、と改名マニア。さらに伝説マニアで様々な逸話があります。(「今文(きんぶん)・古文」で今文が主流だったのに王莽は古文を採用とか、この時代に『周礼(しゅらい)』、つまり周の法典らしきものが成立したとされているとか……)。

王莽は「王莽、帝になれ!」みたいな怪しい予言を流行らせて新の皇帝になったとか。でも光武帝はそういう怪しい予言を排するどころかむしろ「そういうのやめましょう」という進言を強く否定しました。実は新末には「劉秀が皇帝になる」という流行りのオカルトがあったため。ちなみにこのオカルトに便乗して失敗したのが「周礼」と関係の深い「劉歆」。彼は名前を「劉秀」に変えたが漢室復興は失敗しました。

なんで王莽と光武帝の話をしたかというと、神話(黄帝と妻の西陵氏の話)の「皇后の養蚕」をリアルの皇后で始めたのは、たしか王莽だったはず……(うろ覚え)
後漢の光武帝も引き継ぎ、皇后の養蚕を始めた。
もしかしたら遼東では、その「皇后の養蚕」をアレンジして「女王のヤママユガの養蚕」をしたのかも……公孫淵の妻も?そして卑弥呼も?

※余談
(光武帝はいろんな中華の王朝の開祖の中でも最高レベルの人格者で人気者なのに建国・漢室復興よりも自分の国が滅ぼされる話、三国志演義が人気という)
(関係ないけれどコーエーさんの三國志シリーズでは三国時代前後以外にも、他の時代から日本と中華の英雄たちがゲストキャラ武将登場させられるシステムがあります。でも光武帝はなぜか三國志では出てこない……劉邦や卑弥呼や織田信長はいます。)
(ここで卑弥呼って名前出たとき、三國志プレイヤーでも、ちょっと印象変わりましたか?心のなかで天蚕のきれいな緑が映りませんか?自分だけですか?)
(漢室復興のゲームなのに、漢室復興の成功者が出ないのは、その後漢が滅ぶ時代の話だから?当時の漢室や劉備との関係がややこしいから?漢室を重視した新作や、王莽や光武帝の武将プレイの三國志の新作をお待ちしております。)
※余談 おわり

・秦氏と常世氏
ここまでの話を前提とすると……

「秦氏」は朝鮮半島から来た渡来人で太秦(うずまさ)を治めた大物の渡来人。それに対し「大生部・壬生部」=「常世氏」は近畿の都から外れた、東国の東海地方へ(理由は不明ながらも)移った遼東の渡来人。
(本当に秦の始皇帝や燕王公孫淵の一族なのか、出身地なのかはここでは考えない)

(空想)
中華では中華のメインに近い遼東は、朝鮮半島よりも栄えていたのでは?それか遼東が朝鮮半島に圧力をかけていたか……

でも逆に大和朝廷の日本では秦氏の方が格上どころか都の重要な役職、常世氏は東海地方へ。秦氏はそもそも仲哀天皇、神功皇后、応神天皇との関係が深いことが原因?一方の常世氏は、応神天皇の時代に東海地方で平定されている……(邪馬台国の末裔だった?)

遼東・燕の公孫淵一族は朝鮮半島の三韓にどこまで影響を与えていたのか?実は三国時代の呉(孫呉)は海を通じて遼東や朝鮮半島と交流していた。そのため遼東の一族は魏と呉の両方と付き合いつつ、かつ朝鮮半島の三韓、新羅・高句麗・百済、そして倭(邪馬台国)とも交流していたわけです。遼東は文化の交流地点でもあったのでしょうか?

(ちなみに秦氏の功満王はどこの国の人か不明、「辰韓」は「秦韓」とも書くとか、そうすると新羅?)

(三国志には同じく孔明没後のマイナー武将、魏の「毌丘倹(かんきゅうけん)」がいます。彼は司馬懿の燕王・公孫淵討伐の直後に高句麗が反乱を起こしたため遠征しました。しかし司馬一族に政争で敗北……ちなみに彼の姓には似た漢字があったため、最近まで名前を間違えられていたとか。三国志のゲームでも昔のマイナー作品を除けば遼東は弱いし朝鮮半島どころか楽浪郡などの地域、呉と遼東の海を通じた交流はゲームに出てこないという……)

邪馬台国、公孫淵を除いても遼東の歴史は奥が深そうです。

日本では神話の時代からカイコの養蚕が現れます。そして、カイコが吐く糸のごとく、途切れずに現代まで続いています。そして卵から芋虫、芋虫から繭、繭から蛾と大きく姿を変えていきます。日本もカイコの生糸が生み出す富によって、近代国家に返信しました。
さて、ヤママユガは日本の歴史をどう変えたのでしょうか?

・おわり

見てくださってありがとうございました。
冒頭と比べると、後半は文章がかなり砕けています。深夜に突如思いついたアイデアを書き留めていたら、こうなりました。申し訳ございません。

朝からカイコの遺伝子の博士課程の学生に戻ります。

次は研究者として、遺伝研究の話題でお会いしましょう。

20日の追記
邪馬台国のお話、堅苦しい学説気取りでしたが楽しいファンタジーということにしました。

九州のカイコ王朝(大和朝廷かどうかは不明)と近畿の邪馬台国の争いが、常世神の時代まで続いているとなると、邪馬台国って大和朝廷に滅ぼされるまで結構長くあったんでしょうか?東海地方の王朝?

さらに追記  21:14

王莽の養蚕は『礼記』由来の「先蚕祀」らしいです。

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/4385#.YelPj9NcW8Y

あと、魏志倭人伝では倭から朝貢されたものに倭錦のほかに「青(中国では緑のこと、チンゲンサイ・青梗菜と青菜とか日本でも)」の布があるとか。青が青だとしても、藍染は時代が後、渡来人の秦氏や常世氏≒赤染氏の技術。

緑の染料マラカイト(孔雀石)は日本ではマイナー?

だとするとやはり天蚕?

山海経、倭は燕に属す。

(23日の追記)
自分の妄想が有名になれば、必ずTwitterのまとめのTogetterで遅かれ早かれ結び付けられて、Twitterの匿名雑談アカウントが活動停止になる。

仮に妄想がある程度、的を射ていたとしても、それが悲しいですね……

跡地

https://togetter.com/id/rjOS4KioohAPKSU

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