
第四十二節 30倍の敵を撃破した真の武人 【大罪人の娘・前編(無料歴史小説) 第参章 武田軍侵攻、策略の章】
加賀国・吉崎御坊[現在の石川県あわら市]。
この国の大名・富樫一族の醜い身内争いに兵士として加わった大勢の『民』が、激しい怒りを剥き出しにしている。
「我らは兄を大名の地位に据えるため、命を危険に晒して戦った。
『もう雇い続ける銭[お金]がない』
だと?
ふざけるなっ!
権力者や裕福な奴らは、また権力や富を独占するつもりなのか!」
ある者が、こう叫ぶ。
「皆の者!
教団の教えを思い出すのじゃ!
『念仏さえ唱えれば、誰でも極楽へ行ける。
あとは何でも自由にして良い』
と」
それを聞いた好戦的な者が、こう答えた。
「そうじゃ!
我々には神仏のご加護がある!
今こそ立ち上がるときぞ!
権力者を倒し、裕福な奴らを殺せ!
何の実力もないくせに……
相続[親から子へ受け継ぐこと]によって権力や富を独占し、わしらから搾取し続けている輩を決して許すな!」
「応!
そうじゃ、その通りじゃ!
権力や富を独占している奴らを殺し尽くせ!」
『一向一揆』はこうして勃発し……
瞬く間に広がって加賀国[現在の石川県]を蹂躙する。
権力者や裕福な者は、教団による虐殺と略奪の餌食となった。
◇
加賀国の隣にある越前国[現在の福井県]。
幸いなことに。
この国には、『真の武人』が存在していた。
名前を朝倉宗滴と言う武人は、隣国の騒ぎを見てこう語り始めた。
「戦の素人どもが何を抜かす。
『命を危険に晒して戦った』
だと?
笑わせるな!
圧倒的な数に物を言わせただけのくせに。
あんなくだらん戦よりは、子供同士の石投げ合戦の方が真剣なだけまだ良いわ。
そのくだらん戦も終わった今、奴らを雇い続ける理由がどこにある?」
こう続けた。
「実際。
権力者や裕福な者どもは腐り切っている。
己の一族で権力や富を独占することしか考えていないのだからな。
権力や富というものは本来……
世のため、人のために何かを『為す[達成するという意味]』ために存在するもの。
要するに。
権力や富は、世を明るくし、人の役に立つための手段であるべきなのだ」
こう結論付けた。
「この『真理』を忘れ……
いかに己の一族で権力や富を独占するかを最優先に考える醜い輩が増えてしまっている。
多すぎて反吐が出るくらいに!
ただし!
これよりも、はるかに醜いのが……
隣の加賀国で騒いでいる一向一揆どもよ。
己を磨く努力を怠っているくせに、己の権利ばかりを主張し、他人を非難することに明け暮れている!
世のため、人のためではなく、己のことばかり考えている、あ奴らこそが!
一番醜く、一番腐り果てて膿が出ている存在ではないか!
笑わせるな。
主への忠誠心も、武人たる誇りすらなく……
己の利益のために、都合の良い、存在もしない神を生み出し、政にまで口を出す教団にまんまと操られた『馬鹿』な連中に、一体何の使い道があると?」
朝倉家の当主からおよそ1万人の軍勢を預けられた宗滴は、九頭竜川を挟んで一向一揆勢30万人と対峙する。
圧倒的に不利な状況で怯む兵士たちへ向けて演説を始めた。
「皆の者!
よく聞け!
加賀国[現在の石川県]の一向一揆勢は、圧倒的な人数でこの越前国[現在の福井県]を蹂躙しようとしている。
対岸にいる敵は……
我ら朝倉軍の30倍はいるぞ!
だが!
恐れることはない!
奴らは武人ではなく、戦の素人に過ぎないのだからな。
真の武人とは……
数に物を言わせて弱き者と戦うような卑怯者ではない!
秩序を重んじ、強き者へ挑む者のことなのだ!
戦の素人どもに、真の武人がどれだけ強いのか……
その身をもって味わわせてやろう。
そして!
奴らに、秩序を乱した愚かな振る舞いの『代償』を支払わせてやるぞ!」
「応!
応!
おおっ!」
たちまち兵士たちから歓声が上がる。
「皆の者!
よく見て、よく聞いて、よく考えよ。
奴ら以上に罪が重いのは、誰だ?」
ある兵士がこう叫ぶ。
「民を扇動した『教団』そのものだ!」
別の兵士が続いた。
「そうだ!
この国の秩序を乱す教団を、徹底的に潰せ!」
狙い通りの展開になったことを確信した宗滴から、思わず笑みが溢れる。
「者ども!
あの本願寺教団を、完膚なきまでに叩き潰せ!
己の利益のために民を操り、政にまで口を出す輩を八つ裂きにしろ!
もう一つ。
これをよく覚えておけ。
奴らが崇め奉っていると囀る神仏は、人の手によって生み出されたものだ。
言うまでもないが……
人を『造りし』御方ではない。
奴らの崇め奉っている神仏など存在しない!」
こう締めくくった。
「教団を恐れる理由など一つもないのだ!
皆の命、わしに預けてくれ!」
「応!
応!
おおっ!
わしらは勝てるぞ!
存在もしない神仏を崇め奉っている戦の素人など、我らの敵ではない!」
宗滴が率いる朝倉軍の『士気』は、30倍の敵を前にしながら最高潮に達した。
対岸にいる一向一揆勢はこれを見て唖然とするしかない。
「な……
何なのじゃ!
30倍もの敵に正面から挑むなど、朝倉軍は気でも狂っているのか?
非常識にも程があるぞ!
同じ大名でも、富樫一族とは大違いではないか!」
「富樫一族は、わしらの圧倒的な数を見て完全に戦意[戦う気力のこと]を失っていた。
だからこそ簡単に勝てたのじゃ」
「対岸の朝倉軍は、それとは全く違う!
戦意を失うどころか……
士気は最高潮に達している!
わしらには神仏のご加護があるのではなかったのか!?」
「おいおい……
そんなものを本気で信じていたとは目出度い奴だな。
わしは、楽で、簡単で、銭[お金]がもらえて、女子を抱いて帰れるから『乗った』だけよ」
「こういう馬鹿のせいで、この軍勢は無秩序なのか。
それにしても。
秩序を重んじる真の武人とは、『まとも』に戦うべきではないな」
ある者たちが勝手に移動を始める。
「おい!
待て!
勝手に持ち場を離れるなっ!」
特に前列の者たちは、士気が最高潮に達した敵軍を見ただけで怯み始めた。
欲深い愚かな人間の集団であることに加え……
戦争の素人を寄せ集めた軍勢など、どれだけ集まろうが烏合の衆に過ぎないのだろうか。
前列の者たちは後列へ行こうと無秩序に『後退』まで始めたようだ。
これを見た宗滴は声の限り叫ぶ。
「奴らは動揺し、後退しているぞ!
今こそ天が与えた千載一遇の好機!
わしに続けぇっ!
全軍突撃!」
朝倉軍は疾風怒濤の勢いで九頭竜川を渡河し始めた。
◇
「お……
おい!
奴ら、突っ込んでくるぞ!」
「30倍の敵に突っ込むなど、非常識にも程がある!
奴ら正気なのか!?」
「下がれ!
下がったもん勝ちじゃ!」
「おい、押すな!
後ろが詰まっているのが分からんのか」
「どけ!
どかんと斬るぞ!」
「おぬしらは前列の兵であろう?
命令もなく勝手に下がりおって……」
「は?
わしらは、あんなのと戦うなど聞いていないが?」
「おいおい……
おぬしらは一体、何しにここへ?
ここは戦場だぞ?」
「気に入らない奴を殺し、女子を抱いて、銭[お金]をもらって帰れると聞いたから来ただけじゃ。
さっさとどけ。
どかねば、おぬしらから先に斬るぞ」
「何だと?
黙って聞いてやっていれば……
雑魚どもが!
おぬしらのような雑魚な兵が混ざっているから、圧倒的に少ない敵軍に怯むのじゃ。
さっさと敵の突撃を食らって死ね」
「おのれ!
こうなったら強引にでも後退してやるぞ!
え?
あ……
あ!
も、もう敵が目の前に!?
そんな馬鹿な!
早い!
早すぎる!
ぎゃあっ!
う、腕があっ!
痛い!
痛いっ!
か、母ちゃん!
誰か助けて!
待て!
わしは、戦をするために来たわけではない!
ただ教団に命令されてここへ……
あ、今から朝倉軍に『寝返る』から許してくれ!」
「この下衆が!
のこのこと戦場に出て来て、虐殺や略奪に励んでいるということは……
斬られることも覚悟の上なのだろう?」
こう応えた朝倉軍の容赦ない斬撃で腕や足を失い、激痛でのたうち回る者たちは哀れでしかない。
のたうち回ったことで更に混乱を増幅させ、一帯を朝倉軍の狩場としてしまった。
結果。
30倍の人数を誇る敵の『撃破』に成功したが、不幸が訪れる。
武人・朝倉宗滴の病死だ。
類まれなる武人を失った軍勢は、その勢いすら失った。
両者の戦いは膠着状態へと陥った。
◇
さて。
この出来事は、国の統一を目指す者に一つの手本を与えた。
「奴らは人数こそ桁外れに多いが……
所詮は戦の素人であり、結束力のない烏合の衆に過ぎん。
要するに『雑魚』ということか。
ある意味で、教団は最も都合の良い敵かもしれないぞ」
と。
【次節予告 第四十三節 徳川家康の三河国統一に利用された教団】
自分以外の『的』へ人々の憎悪を集めること。
これは支配者に限らず……
影響力を持つ者すべてが、相手を思考停止に陥らせ、さらに多くの人々を操るために使う常套手段なのです。