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福井安紀『職業は専業画家』から得た知見

 画家を目指す人に限らず、すべてのクリエイターと予備軍が読むべき書。以下、小見出しは本書からの引用文で書いてみた。


自分のお客さんは自分でつくる

 本書の内容はこれに尽きる。すべてが凝縮されている。自分のお客さんをつくるために、どんな心構えで何をするべきか。それが本書に事細かく記されている。
 もちろん、わたしのフィールドは絵画ではなくて文章である。テキストを書くことと、リライトすること、チェックすること。それがわたしの仕事であり、目指す場所でもあるが、絵ではなくテキストを創って販売するためのヒントも本書には随所に述べられている。

その生活で創れる作品を創る

自分の描く環境をつくるのは自分ですが、初めのうちは、環境が不十分でも描いて活動していかなくてはなりません。あなたの生活で「できる表現」を工夫することが大切だと考えています。

本書40ページより

 最初のヒントはこれ。わたしは、「仕事」ではなく好きなテキストだけ書いているわけにはいかない。けれど、この環境でできることをやる。そうなると、毎日noteだけは「クリエイター」として書いている。つまり、いまの環境でできることをやっているということになる。これでいいんだと改めて安心した。

金銭的に貧しい生活をいかに成立させるか

心が貧しくならないように、上等な食器を買うという工夫をしました。カレーライスはコストパフォーマンスがとてもよいのでよく夕食に登場するのですが、そのカレーライスを1万円のカレー皿と2万5千円の純銀のスプーンでいただくのです。
脳は、けっこう簡単にだまされてくれます。

本書42ページより

 著者は、専業画家としてスタートを切った最初の数年は貧しかったという。とはいえ、クリエイターは「美しい」ものを創るのが商売だ。生活を切り詰めるだけ切り詰め、ただ生きているというだけでは創作も上手くいかない。
 そこで、節約料理のカレーライスを1万円のカレー皿に盛り、2万5千円の純銀のスプーンでいただく。
 ここはものすごく納得した。わたしはいまフリーランスではあるが常時仕事をしていて、創作活動オンリーの生活には入れない。けれども、クリエイターとしての創作時間を確保するためには、生計を立てる仕事を増やすというより、出費を抑えること。それも「心が貧しくならないように」。こういう工夫はものすごく大切だと思った。

見つけてもらう大切さ

「お客さんに見つけてもらう」ことの大切さと有効性
 「自分で売り込んで得た出会い」と「見つけてもらった出会い」ではお客さんの熱量に大きな差があります。この熱量の差によって、出会いからのつながりの広がり方が大きく違ってきます。
 私が通りすがりに入りやすい路面の画廊にこだわるのは、この「見つけてもらう」ための場として、とても優れているためです。

本書102ページより

 「見つけてもらう」は、知り合いの翻訳者Aさんがいつも言っている。産業翻訳も出版翻訳も、自ら売り込んで営業をするのではなく、「こういう人がほしい」と思ったときに自分を見つけてもらえるようにするのだ、と。
 そのための具体的な方策は、画家とは異なる。テキストを商売とするわたしたちは、SNS、ブログやnote、翻訳者であれば業界団体の翻訳者リストに載せるプロフィールなど、いろんなところにキーワードを散りばめること。
 もうひとつ、「表に出ていく」ことが「見つけてもらう」ために大事なことだ。「見つけてもらえる」ようにしておくことと、「見つけてもらう」場に出ていくことを、わたしたちはいつも考えておかねばならないだろう。

自分を「さらけ出す」

自分を丁寧にさらけ出すことができるようになると、さらけ出された自分を大切にしてくれる人たちとの出会いが増えていき、「自分のお客さん」をたくさんつくり、関係を深めることができるようになります。

「さらけ出す」とは(「さらけ出す」を構成する3要素)
・自分の欲に正直
・世の中への信頼
・安定した心
→今の自分の欲に正直に行動すると、世の中の人々は肯定的に受け止めてくれる

本書138ページより

 画家に限らずクリエイターは、自分を「丁寧にさらけ出」さなければ作品を買ってもらえない。そのためには、「本当の自分」になること、それを「さらけ出す」こと。
 では、「本当の自分」になるとは何か。

真のあなたに魅力を感じる人は、必ずいます!

あなたの姿・心・服・言葉・文字・作品・好物…が「本当の自分」なのか、常にチェックしてください

本書157ページより

 自分のすべてが「本当の自分」なのかどうか、常にチェックしながら生活する。これは難しい。わたしの場合、「言葉」「文字」が本当の自分かどうかは、いつもチェックしている。生計の手段であり、クリエイターとしてのツールでもあるから当然である。「作品」もそうだ。自分にしか書けないものを書くのでなければ意味はない。
 だが、姿・心・服・好物となるとどうだろう。
 常に「本当の自分」といえるだろうか。本当の自分でいるための服とはなんだろう。自分に似合う服とか、そういうことではないはずだ。
 自分が好きな服であることが大前提で、心の底から「この服を着ているのは『自分』だ」と思える服。外出するときだけではなく、自宅から一歩も出ない日でも「『自分』と思える服を着る」というのはどういうことだろう。
 服をほとんど持っていないわたしだが、それでも処分する服はありそうだ。そして「『自分』と思える服」を入手しなければならない。高価な服ではない。着ていて「本当の自分」と思える服を。
 「好物」となると余計そうである。「本当の自分」と思えるものを入手し、食べる。うーん、これは意外に難しそうだ。

純度を高く維持して、自分の美の作品をつくる

 私は自分や他人の「本当にしたいこと度」のことを純度と考えています。
その作家が純度を上げて作品をつくれば、必ずその作家(人)にしかない表現や美にたどりつくと考えています。
 そして目指すべき純度の高さは、90とか95ではなく、99か99.9か99.99ということです。 

 本気の本気の本気で考えれば、他人の言うこと、既成概念・常識は、まったく無意味です。
 その意識上で、初めて本当の工夫や本気の活動が生まれてきます。そしてもっと強く共鳴する人に出会えるはずです。

本書168ページより

「本当の自分をさらけだして」何をするかといえば、「本当にしたいこと」しかない。それも純度99以上だ。このところ、なんとなくそう思っていたことが本書にはずばっと言及されていた。
 「本気でやる」のではないことを、いったい誰が応援してくれるだろう。「本気で」創っていない作品を誰が買ってくれるだろう。それ以前に、「本気で」考えなければ工夫など生まれるわけはないのだ。
 そして、「本気の本気の本気で考える」には、いつも「本当の自分でいること」を土台に据えるのが大前提だ。
 わたしの場合、やはり「本当の自分でいる」ための服を選ぶ。そこから始めないといけないだろう。

クリエイターとしてのTips

 その他本書を読んで「ギクっ」とした箇所を2つ挙げておく。なお、上の小見出しだけは本書からではなく、久松がつけた見出しである。

プライドはこころを堅く強くする反面、心のしなやかさがなくなり、ある衝撃で折れたり砕けたりしやすくします。

 努力・工夫してもなお、うまくいかない時は、基本的にはいろいろな人に相談するのがよいと考えています。信用できる人物、何かを成立させたことのある人にもちかけるのがよく、その時には、正面から重く相談することが重要です。
 相談も本気でないと、本気の答えはありません。

オリジナリティーを探さないでほしい。(オリジナリティーを探すことが、そもそもとても一般的で、オリジナリティーがないから)

本書170, 171, 172ページ

 「プライド」が邪魔することは、自分の場合ほんとうに多い。自己肯定感とプライドは違う。せめてプライドを「持ちすぎないように」「捨てられるプライドは捨てる」ようにしなければ。
 次に「相談」。相談相手を選ぶことは当然として、「本気で」相談しなければ「本気」の答えは得られない。ここはよく覚えておこう。
 それから最後の「オリジナリティーを探さない」。「本気の本気の本気」でやるということと、「オリジナリティーを探す」のは別ということだ。自分だけの表現は、本気でやっているうちに自分の中から生まれてくるもので、探しにいくものではない。これを目的にしてしまうとがんじがらめになってしまう。著者はそう言いたいのではないか。

親類や友人を個展に呼ばないわけ

 最後に、画家や写真家等の個展を「観にいく」側としてたまに思うことがあるのだが、著者はこれもコラムに書いてくれている。

 個展は、未知の人と出会う場、出会った方との縁を深めるための場であり、同窓会の場ではないからです。人の展示を見に行った時に、友人に囲まれて話を楽しんでいる作家を時々見ます。その人の作品が素敵だなあと感じて、求めたいと思っても声を掛けにくく、諦めることがあります。

本書50ページより

 わたしは心が狭いので、個展に行った場合に、画家や写真家が、彼らの友人等と長々と話をしているのを見ると「ああ、作品販売をしたいのではなく、自分の知り合いと話をしたいだけなのだな」と思ってしまう。
 せっかく来たのだから、作品のことをもっと聞きたいと思うことは多い(そうでなければ個展には行かない)。だから、個展を同窓会の場にしないでほしい。
 わたしは画家の個展に行って、その場で作品を求めようとは今のところ考えていない。それでも、「作品をじっくりと見て、芳名帳に名前を記入する人」である。この本の定義でいえば、わたしは「お客さん」枠に入るのである。
 個展に画家が在廊していたら、「作品を買うことはほぼないのでわがままだが、それでも、話を聞かせてもらえると嬉しい」のである。


今日の久松 ここ2日間、籠もって仕事をしていたが、今日のランチは外食する。金銭的にも、時間的にも週に1日の贅沢だ。

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