【詩を紹介するマガジン】第14回、リルケ
ドイツ語圏の詩人、リルケ。いい意味でふらっとしている人で、ふらっとしているけど詩はちゃんと韻を踏む。常識的なさすらい人という感じがする。この詩は最初に翻訳で読み、言葉遣いのあまりにレトロさに絶句したので、今回現代語に訳してみた。
リルケの本名は、ライナー・マリア・リルケと言う。20世紀の詩人で、1875年生まれ、1926年没。第一次世界大戦が1914~1918年だから、終戦からやや経って死んだことになる。第二次のほうは見ていない。同世代には彫刻家のロダンがいた。そういう世代だ。
自分が最初にリルケを読んだのは『マルテの手記』で、これは詩集じゃなくて小説だった。都市をさすらう孤独と、書き手の純朴な性格、そしてヨーロッパ独特の、雪の降らない日の石畳の冷たさが伝わってくる本だった。
石畳の冷たさ、と言っても、なんだか伝わらないかもしれない。寒いのとは違う、空気の冴えて冷えている感じ。石の道は歩くときに固く音を立て、その音も乾いて冷えている。
石造りの建築は、ちょっとやそっとのことでは壊れない。昨日も今日も同じ姿を保っていて、その変わらなさが街を覆っている。リルケのイメージは、雪の降らない冬の日だ。
この詩のタイトルは「Das Lied der Waise(孤児の歌)」で、孤児だと硬いような気がして「みなし子」と訳した。リルケはいつもさすらっていて、旅を愛した人だと言われるけど、それはよくわからない。
「旅や放浪を愛する」ことと「ひとつのところに留まっていられない」ことは、ぜんぜん別の話に思える。リルケはただ、とどまっていられない人だったような気がする。どこにいても落ち着かなくて、だからいつもどこかに行こうにする。
自分のいる位置がわからなくて、孤独でいるのがいつものことになっている人は、どこかみなし子に似ている。帰る家を持たない子、落ち着くことのできない子。彼らは好きでさすらうんだろうか。そう生きるよりほかないんじゃないだろうか。
「放浪を愛した」と言えば聞こえはいい。でもそれは「放浪せざるをえなかった」と似ているようで決定的に違う。リルケはきっと後者だった。
ゲーテもまた旅多い人だったけれど、この人の詩は常にどこか明るい。ゲーテは総力戦の世界大戦を知らず、また字面通りに「旅を愛」せる立場の人だった。ちなみに生粋のドイツ人だった。
みなし子の詩人と、みなし子でない詩人。そんな詩の分け方もあるだろうかと考える。リルケは今で言うチェコの生まれだった。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。