心変わり
ご挨拶
2022年も、今日で終わりです。今年の始めから、本格的にこの「note」を書き出しました。そんなものだから、文章としては、まだまだ読みにくい部分も多いものだと思います。そんな僕に付き合って頂き、読んで頂けたことに、本当に感謝しています。
今年一年、本当にありがとうございました。
心は変わるもの
一年間、書くことを通して、僕が感じたこと。
それは、心は変わるもの。そのことが、強く思えたのです。
よく、人の心は空模様のようと言われています。時に、ポジディブな時もあれば、あっという間に、ネガティブにもなってしまうもので、長期的にみれば、僕はそう変わらないと思っていました。実際に、僕は自分をなかなか変えることは出来なかったものですから。
これまで僕は、自分自身を可哀そうな人間だと思い込んでいました。
とりわけ、人よりも辛い境遇だったわけでもありません。周りからみれば、ごくごく普通の人生。なのに、それを僕自身が自ら不幸であることを選んで生きてきたのです。ちょとしたことで、泣き寝入りしてしまう自分。簡単なことも、踏み出せない意気地なしな自分。
だから、自分が嫌いで仕方なかったのです。
そんな風だったから、僕自身が今まで、自分が恵まれているだなんて、運がいいなんてこれっぽっちも感じたことはなかったんです。
そして、そんな状況を全部周りのせいにしていました。
しかし、あるテレビで、障害を抱えながら、懸命に生きている方のインタビューをたまたま目にしたんです。生まれた時から、生涯を持っていて、病気が良くなることはなく、どんどん進行していく状況の中で、なんども生死を彷徨ったそうです。その生涯のせいで、想像を絶するようないじめにあったそうです。そして、またいつ死を迎えるのかも分からないそうです。そんな経験をしたのにも関わらず、テレビを通してでも、その方の明るさや強い思いが伝わってきたのでした。
その方は「私ほど運のいい人はいない。」「だって、今の私は何よりも幸せなんだから。」そう、仰るのです。
僕は、なんだか急に恥ずかしくなったのです。
自分があたかも、世界で一番不幸になったつもりで、僕の苦しみなんて誰も理解してくれないんだって、ひとりで悲願で。自分の殻に閉じこもって、勝手に辛いって言っていたのですから。
両親が悪い、いじめたやつが悪い。学校が悪い。勤め先がブラック企業だったから。気がついたら、そうやって人のせいにしていた。
だけど、僕なんかより、運命に振り回されながらも、その方は病気だから、障害があるからと言わずに、真っ直ぐに生きようとしている。
そのことを知って、僕は僕以外の人の心の部分を初めて想像したのかもしれない。
もしかすると、その方だって、僕みたいに、色んな事のせいにしていたのかもしれない。いや、みんながみんな、自分は可哀そうだって思っていた時があるものかもしれない。どうせ誰にも分ってもらえないんだって、自分の殻に閉じこもっていたのかもしれないって。
仕事が上手くいかない。家庭が上手くいかない。やりたいことが出来ない。嫌なことを我慢している。好きなものが買えない。周りからみれば、何不自由なく生きているようにみえるのに。
きっと、僕も同じなんだと思う。
だから、時々、拗ねてしまってもいい。批判してもいい。不機嫌になってもいい。多少、わがままをいってもいい。そういう許可を自分に出しているのだと思う。
だけど、僕の人生は、僕しか生きられないのです。誰かが変わってくれる訳ではありません。誰かが、変わってくれて、色々変えてくれる訳ではないんです。
つまり、僕の人生は、僕しか変えることは出来ないのです。
なのに、人のせいにしていたし、誰かに、完全に理解してほしいと思っていたのです。だから、急に、僕は恥ずかしくなったのです。
自分に可哀そうな人間だと思うこと辞めました。
だけど、その分辛い時には辛いって泣くようにしたんです。そしたら、なんとなく自分に寄り添えたっていうのか、自分を尊重することが出来たような気持ちになりました。
そんな風にしていると、嬉しいことがあった時には、とにかく喜べるようになったのです。面白いと思ったら、思いっきり笑えるようになった。感動すれば、自然と涙が出来るようになったのです。これまでは、そんなに反応しようとしなかったのに。
それは、僕の心が変わったのです。
そんなこと、はたから見れば、誰も分ってはくれないし、気づいてもくれないことでしょう。でも、確かに僕は心変わりをしたんです。
人の心は空模様みたいと例えられるものです。
でも、空模様なんかではありません。
人は自由に心を変えられるものですから。
それでは、よいお年をお迎えください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー