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自分の中の判断基準に苦しまないで
僕が苦しかったこと
こんなことを言うのは、変な人だと思われるのかもしれません。こんなことを考える人は、少なくとも僕の周りにはいません。でも、僕はどこかで生きることにしんどさを感じてしまっているのです。
その原因は、今の自分を褒めることが出来なくなってしまっているのです。今の自分を認めることが出来なくなってしまっているのです。
いわゆる自己肯定感というものがどんどん低くなっているのです。もとから高い訳ではありません。ですが、こうして本を読んだり、色んな学びの場に参加するようになって、僕なりに変われていたような気になっていたんです。
自分を褒めることが出来ていたのに、だんだん喜べなくなってしまうから、褒めることが出来なくなりました。
自分の気持ちを優先することを意識することが出来たのに、やっぱり人の視線が気になってしまうようになりました。
どれだけ上手くいっていたとしも、まだまだ足りないんじゃないかと感じてしまうようになりました。
自分に完璧なんかじゃなくていいと言えていたのに、気が付けば、また自分に完璧を求めてしまっていました。
学び出したころは、自分が成長していることを実感することが出来ていました。だから、ポジディブな気持ちになれていました。自分はポジディブな人間だったのかと錯覚するほどでした。ですが、やっぱり僕はネガティブな人間なんだと感じることが多くなってしまいました。
やりたいことが出来ていると思えていたのに、だんだんとそんなことはないと疑うようになってしまいました。ついには、自分のやりたいことがなんだったのかと分からなくなってしまったのです。
こうした自分を認められない苦しみというのは、誰かと共有することが出来ないものであり、それが、思いの外、苦しみを強めてしまうものになってしまうのです。
ありのままの自分を受け入れなさいと言われても、どうすれば良いのか分からないのです。
自分の中の判断基準を見直してみる
自分が認められないとか、自分のことを褒めることが出来ないのは、自分の中にある判断基準が、厳しいものに変わってしまっているからに違いありません。
小学1年生のころに出来たら、とても褒められたことは、小学6年生にもなれば当たり前になっているものです。大人になればなるほど、こうした基準は確かに高くなっているのです。
僕自身だって、振り返ってみれば、この「note」だって、はじめた頃は毎日記事を書くのは本当にやっとの思いでした。ひとつ記事を投稿するたびに、自分を褒められたし認めることが出来ました。でも、今となっては、僕の中で毎日記事を書くことは当たり前のことになっているのです。
つまり、自分の中の正解や不正解の基準や自分を褒める基準、あるいは自分を認めることが出来るかどうかの基準というものは、どんどん勝手に高くなっているのです。
自分の中にある生き辛さや苦しさを感じてしまうのは、きっと、こうした部分が原因になってしまうのではないかとおもうのです。
それは、見方を変えてみれば喜ばしいことなのかもしれません。それは、自分自身が成長していると言う証でもあるのですから。初心に返ることは大切だと言われる意味は、こうした自分の中の判断基準が高くなっていると言う部分を見直すことも含まれているからではないかと思うのです。
問題解決に意識を向ける
自分を認めるか認められないのか。あるいは、自分は正しかったのか、それとも間違ってしまったのか。自分を褒められるかどうか。
そうしたことに白黒つけて、自分を判断することも、ある意味では大切なことなのかもそれません。ただ、こうしたことに対して考える時間を費やし、悩みや苦しみを感じてしまうのは、時間も労力も持ったいないことのように思えたんです。
そこに自分の意識を傾けるのではなく、自分が目指す自分にどうすればなれるのか、あるいは、自分が解決しないといけない目の前の問題をどうすればよいのか。こうしたものに、全力で取り組むことの方が大事ではないかということです。
僕は料理人を目指していた頃です。とても迷っていた時期がありました。自分には才能がないのではないかとか、自分には向いていないんじゃないかって考えてばかりいました。その頃の自分はそうしたことばかりに意識を向けていたために、本来の料理に全力で打ち込めませんでした。だから、多くの失敗を作り出してしまったし、上手くいくものも上手くはいきませんでした。
そして、ある会社に勤めていた時です。時代の流れなのか、ひとつのお店の経営が上手くいかなくなり、会社の経営が傾きかけたときです。確かに、そのときに、僕はまた悩みました。自分が何をしたって何の役にもたたないんじゃないかとか、自分では力不足だって。でも、すぐにそんな迷いを振り払いました。そんなことを言っている場合じゃないって。会社がなくなってしまえば、僕の人生は終わってしまうと考えたからでした。今となってはそれが素晴らしい選択だったとは言えないのですが、僕は目の前のことに必死になって取り組んだのです。その時は、自ら寝る間を惜しんでは自分に出来ることをしました。その時は必死だったから、自分を褒めるかどうかだとか認めるかどうかだなんて考えもしませんでした。結局は思うような結果には届きませんでしたが、今思うと、あの時の自分ほど成長することが出来たことはないと思えるくらい、自分を褒めることが出来るし、認めることが出来たのです。
人は、一度迷えば、どんどん深みにはまってしまうものです。ですが、自分の判断基準にどうか苦しまないで欲しいのです。それよりも、目の前のことに全力で取り組んではみたほうが良いのではないでしょうか。
再び、このことを今の自分に伝えたいと思います。
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