ビジョニングの専門集団「NEWPEACE」メンバーのnoteをまとめていくマガジンです。
Higuchi Naoya
なるべく多く更新して行きたい、日々の記録として
正直そんなに変わりたくない。だから、僕にとっては素晴らしく愛おしい10年代を振り返ろうと思う。 「2010年代が終わるね」 「そうだね、あっという間だったね」 2010年に16歳だったぼくは、星が明滅する程度の速さで25歳になった。10年の重みはすごい。 かつて人類は月にたどり着いたし、世界一高い塔が建設された。モバイルが世界を支配して、顔の知らない人が身近になった。 といっても、大きな動きは個人のあずかり知らぬところだし、ぼくにとってはこの10年は、モテキやソラニン
「そういえば、引っ越すことになるかもしれない。」 大阪は梅田、煙草が吸えるオアシスみたいな喫茶店で、クッキーの粉が落ちるようにつぶやいた。 2本目のアメリカンスピリットに火をつけたところだった。高架下にあるその店は、四六時中ボコボコと電車が走る音が聞こえている。 右手はスマホに、左手は煙草に捧げていた友人が、ゆっくりと灰を落としたあと、のそりと顔をこちらに向ける。 「なんだかさみしくなるな。」 ちょっと前まで、ぼくたちは同じ街で暮らしていた。歩いて5分、大通りを挟んで
信じることは怖い。ものすごく怖い。 どれくらい怖いかって? 宝物を手に、ビルの屋上に登り、縁に向かう。そこで何度も手を離して、宙に浮かせるくらいには怖い。取り返しの使いないことがおきていい 信じるってことは、「この先は新しい土地に繋がっているんだ。大丈夫。」と告げられ、真っ暗な洞窟に入っていくような事だと思う。 たったひとつのカンテラと、ささやかな非常食を持ちながら。 恐る恐る足を踏み出していく。 「大丈夫。」の言葉と彼の眼差しをお守りにして。 歩いていくと脳内を、
見せつけるように文章を書いても、きっと読んではもらえない。 書くことは容易で、手軽に始めることができる、きがする。技術が見えないから。本当は至極難しいのに。 美しい文章がわかることは、ラッセンを容赦なく捨てられることだと思う。 美しい文章は、練りに練り、鍛錬を繰り返すことで1つの作品になっていく。工房で、真っ赤な鉄に一閃の槌を振り下ろす刀工の如く、言葉を並べる。 それでも片手間に書くことを辞めることができない。褒められた傲慢と、できる気がするという記憶が捕まえたまま離して
良いものはリズムが良い。 月並みな言葉だけれど、それが肌に馴染んできた。最近のことだ。特に今日の佐藤可士和の展示が決めてだった。 もちろんリズムが全てではない。 何を映すか、何を見るのか、何を描くのか。あるいは、どうつくるのかが良さを規定するだろう。 ただ、リズムが悪くて良いものは存在しない気がする。「拙さ」や「哀愁」、はたまた「安心感」を良さと混同するケースはあるだろうが。 そして、完璧で正解なリズムは存在しない。 だから、創作の過程で、作家固有のリズムが作られて
去年は結構エモいテキストを書いた記憶がある。儀式は人類の大きな発明だ。2020年、世界は大きく変わってしまったが、個人的な生活も大きく変わった。 ありがたいことにCOVIDの影響は小さかったが、青春の幻想をなぞることへの興味が減衰している。昨年、意図したものであるが、自分が「おじさん」になってしまったようですこしせつない。悪いことではないし、「大人になった」ということだろう。ただ、「彼ら」をつまらない存在だと眺めていた当時の僕が睨んでいる、ような気もする。 自意識はエネル
海外出張の後半はエストニアを訪れた。 滞在期間は短かったけれど、一瞬で好きになった。本能が馴染むような感覚。エストニアで働いている方が「世界一周してた時に立ち寄ったんだけど、一瞬で住みたいと思った」と言っていたが、こういうことか、と腑に落ちた。 タリンは、歩いているだけで気持ちが整ってくる。爽快なグリーンとかわいいトラムがゆるやかに都市部を覆い、バルト海からの風は物語の匂いがする。ファンタジーで描かれる「うみべの街」って感じだなと思っていたら、本当に魔女の宅急便の舞台にな
言語によって社会は規定されている海外出張でブタペストに来ている。驚いたのは、ブタペストが異様に居心地が良いことだ。日本と雰囲気が似ている。都市景観、地理的特性、歴史などが違うにもかかわらず、暮らす人のふるまいが似ている。奥ゆかしさというか、少し恥じらいがある。 仮説は色々考えられるけれど、言語が似ていることが一つの大きな要因ではないだろうか。街で聞こえてくる言葉は全く理解できないけれど、耳馴染みが心地よい。スペイン語や中国語を聞いた時のような違和感がないのだ。 調べてみる
正しく、規則的に物事を進めることは、本当に苦手だ。 遅刻が多くて、恋人に愛想を尽かされる。 初詣は3回行ったのに、2018年の振り返りはずるずると長引いてしまった。 その間に紅白歌合戦で昭和が終わり、仕事は始まり、人日の節句も明けて、正月さえも終わっていた。 それでも振り返ることに価値があるので、遅ればせながらまとめてみる。 --- 端的に2018年を振り返ると、存外「悔しい」1年だった。 なぜそう思ったのか。 備忘録がてら、「何をやっていたのか」まで書くことで、すこ
あたし達の住んでいる街には 川が流れていて それはもう河口にほど近く 広くゆっくりよどみ、 臭い河原のある 地上げされたままの場所には セイダカアワダチソウがおいしげっていて よくネコの死骸が転がっていたりする 岡崎京子の名作、リバーズエッジの冒頭を引用し、<川崎 = リバーズエッジ>と捉え洞察を行う、説得力のあるINTERLUDEがある。 それは、磯部涼さんの「ルポ 川崎」に登場する。BAD HOPを筆頭とするミュージシャン、スケーター、アクティビストとの対話を記録した