渋谷で暮らしてみたって、東京人にはなれないようだ
「そういえば、引っ越すことになるかもしれない。」
大阪は梅田、煙草が吸えるオアシスみたいな喫茶店で、クッキーの粉が落ちるようにつぶやいた。
2本目のアメリカンスピリットに火をつけたところだった。高架下にあるその店は、四六時中ボコボコと電車が走る音が聞こえている。
右手はスマホに、左手は煙草に捧げていた友人が、ゆっくりと灰を落としたあと、のそりと顔をこちらに向ける。
「なんだかさみしくなるな。」
ちょっと前まで、ぼくたちは同じ街で暮らしていた。歩いて5分、大通りを挟んで線対称の位置。はたらく会社は違えど、業界は近い。
「いい街があるんだ」と、共通の友人が引っ越したのを皮切りに、閉店間際の回転寿司みたいな間隔で、ぽつりぽつりと、されどきっちりと友人が連なって引っ越してきた。
僕も彼もその波にのってたどり着いた。
そこから4年。
街が元気なときは渋谷や新宿に足を伸ばした。彼は底なしの下戸なので酒も飲まず、夜の街をでくでくと歩くことがほとんどだった。たまに、クラブに行って体を揺らした。だいたい明け方前には、元気も夜もほとほと使い果たして、薄ら黒いブルーの中、家まで歩いて帰った記憶がある。
COVID-19の影響ですっかり街が静かになっても、「茶でもしばかん?」と右手に珈琲、左手に煙草で、すっかり当たり前になった在宅ワークを抜け出して話していた。
スタイリッシュな都市の暮らしはフィクションの世界の話。、家で YouTube を見て1日潰したことも多々ある。それも、お互いのスマートフォンで
「ビビるくらい時間をムダにしたよね」と話して、牛丼を食べに駅まで歩いて、並盛を食べて一服して帰った。浪費できる贅沢な日々だった。
熱狂があるわけでもなく、ただ自然に過ごしていたように思う。
喧嘩という喧嘩はしたことないけど、言いたいことは言えていたし、仕事でもプライペートでも相談をするようになった。
馬が合う人間の周りも馬が合うのだろう。気がつけば、大学自体の友人やバイト先の友人も含めて数人で遊ぶようになり、年に一回は車で旅をする仲になっていた。ジム・ジャームッシュが撮りそうな穏やかな日常だな。
ただ時は流れるし、生活は変わっていく。友人たちの多くは恋人と暮らすようになり、ついには婚約をするようになった。
ある時、「結婚するし、地元に帰る」と、8時のニュース程度の自然さで彼は言った。目いっぱいの寂しさのなか、口をついた言葉は「おめでとう!寂しくなるな」だった気がする。彼は「出張も多いし、月イチ位で会えるから対して変わらないさ」と笑っていた。
本当は結構寂しくて、次の朝ひどい夢をみた。「結婚なんてしないでくれよ」と叫ぶ漫画を借りる夢。
思えば、変わっていくのはいつだって風景の方だった。固定された座席から移りゆく風景を眺めている感覚で人生を過ごしている。
***
だから、彼が梅田の喫茶店で「寂しくなるな」と言ったとき、なんだかおかしかった。僕たちは全く同じ構図で話をしている。愛おしくなって、3分の1も残っている珈琲を喉に流し込んだ。
彼はそんな事を知る由もなく、スマートフォンに顔を向けている。仕事の連絡が来ているようだ。顔は向けていなくても、興味関心はきちんと向いている。聞かなくてもそれがわかる関係はありがたいことだな、と思う。
「そろそろ新幹線の時間だから。」と彼は席を立つ。私も追いかけるように、シャツを手に取る。
自分の気持ちには、他の誰かの行動でしか気づけないんだろう。
右手に見える富士山で西に向かうことを知るように、死によって愛してたんだなと認識する。ぼくたちはそういうメカニズムで生きている。
なんとなくする行動が誰かの気持ちを大きく変えてしまうかもしれない。
ドラマチックで、同時に少しこわい。だって、自分の言動ひとつひとつに責任も意識も配れないし、他人に敵意もむけられないし。
「どうにか傷になりませんように。」と、ちょっとだけ祈るような気持ちで日々を生きるくらいしか思いつかない。
なんてことを考えながら、新居で掃除機をかけおえる。Bluetooth のスピーカーに iPhone をつなぐ。
「… それでは聞いていただきましょう。STUTS feat. PUNPEEで …」
くたびれたジッポでタバコに火を付ける。溶けたブルーハワイのような空を見ながら煙を吐き出す。