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「ルポ 川崎」に、ことばの可能性をみた

あたし達の住んでいる街には
川が流れていて
それはもう河口にほど近く
広くゆっくりよどみ、
臭い河原のある
地上げされたままの場所には
セイダカアワダチソウがおいしげっていて
よくネコの死骸が転がっていたりする

岡崎京子の名作、リバーズエッジの冒頭を引用し、<川崎 = リバーズエッジ>と捉え洞察を行う、説得力のあるINTERLUDEがある。

それは、磯部涼さんの「ルポ 川崎」に登場する。BAD HOPを筆頭とするミュージシャン、スケーター、アクティビストとの対話を記録した、素晴らしいルポルタージュだ。川崎という街の「リアル」が、高い解像度で描かれている。

本書はまず、川崎の中学一年生殺人事件、日進町の放火事件についての説明から始まる。どちらも陰惨で衝撃的な事件だった。けれど、当の川崎では、風化されていることが語られる。
いや、風化という表現は正しくない。「よくあること」の1つでしかなかったのだ。

「ああいう事件も川崎ではよく起こるから」「そもそも、あの河川敷はリンチをやるときの定番の場所で。今までだって死んだヤツはいるし」

その後もずっと、パンチラインの嵐だった。

「ばあちゃんがアル中だったんですけど、小四のとき、『お前を殺して、私も死ぬ』と言って包丁を突きつけられたこともありました。オレは鍋を盾にして必死に防いでいたら、じいちゃんが帰って来て、ばあちゃんをボコボコにするみたいな。小六のときには、突然、五、六人のスーツを着た男が家に入ってきて、めちゃくちゃに荒らされて。それはガサ入れで、母ちゃんも泣きながら逮捕されちゃう」
「だいぶきれいになりましたけど、昔はこのへん、不法投棄がすごくて。車が二台、積み上げてあったり。あと自殺も。初めて死体を見たのは小学生のとき。滑り台にオジさんが寝てると思ったら、その後、黄色いテープが張られて立ち入り禁止になってて」

どちらも語り手は20代になったばかり。10年ほど前だから、2000年代のエピソードだ。

社会が「インターネットだAIだ」と、声高に叫んでいた21世紀。ベンチャー企業が台頭し、穏やかではあるが再起の息吹を感じていた時代に、都心からわずか30分の地で起こっていた出来事である。

読みながら「ウソでしょ」と、何度も呟いてしまった。正直な独白だが、想起されたイメージは、「スラム」だ。混沌とした場所が、21世紀の日本にまだあるなんて、僕は知らなかった。

上記から、「ルポ 川崎」は、川崎を「前時代的な極めて劣悪で恐ろしい地域」と捉え、社会問題として提起した書籍だと思った方もいるだろう。

しかし、それは間違いである。

「ルポ 川崎」は、川崎の実情を「問題」として定義しない。ただ、淡々とリアルを描くだけだ。淡々と正確に、「川崎で生きる人々」を描写している。だから、劣悪さと同時に、そこで暮らす人々の力強さと優しさも、しっかりと記録されている。

「川崎はアナーキーなんですよ。地方は、大抵、閉塞感しかなくて排他的なのに対して、川崎の場合はとりあえずどんなヤツでも受け入れるし、生きていける」

と、書評はここまでにしよう。
私はこの本を読んで、胸が震えた。冬に当てられ沈んでいた気分が、少し上向くように感じられた。

なぜか。
「川崎に希望を感じた」から?
たぶんそれもある。
でも一番は「ルポルタージュ」の可能性に感動したから。

街の人を描写して生きていくことで、自分も飯を食うことができるのだ。しかも、暮らす人を消費することなく。
彼らの生活を受容し、馴染みながら、自分も生きていくことができる。単なるオブザーバーではなく、個人的な思いをのせることもできる。ビジネスとしての共生ができている。

何より、僕は知らない街や、新しい環境にいくことが好きだ。知らない街で、様々な物を眺めることがすきだ。酒を飲むことも好きだ。人間と関係を築き続けるのは苦手だけど、一時的に馴染むことは得意だ。そんなスキルは役に立たないと思っていたし、そんな趣味は金にならないと思っていた。

でも、ルポルタージュという手法なら、それが役に立つのではないか。自分が持て余していた興味と関心を使うことができるのではないか。そして、自分が好きなものに対し、僅かでも寄与できる可能性があるのだ。大いなる希望だ。

そんなことを思って、ある人に「ルポライターになりたい」と話した。彼は「それには文章をかけるようにならないとね」と言った。その言葉の後には「君は文章がかけないから」がのこっていた気がする。
どうしようもなく悔しかった。でも、確かに書けない。こうやって、読んだ本を元に思ったことを文章にしても、どうにも決まらない。宙を浮遊したような鈍った表現とエクリチュールばかりだ。思い浮かぶ言葉も少ない。

だからこそ。
僕は文章が書けるようになりたい。

どうやったら文章が書けるようになるのか。悩みながら手に取った本には、「たくさん読むこと」そして、「書くこと」だとあった。
だから書こうと思う。客観的な描写を行うことから始める。

これは決意表明の記録である。


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