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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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#双極性障害

【第17日】3分間の深い診察

素敵な主治医との出会い 双極性障害を抱える私は、これまで数多くの医師の診察を受けてきた。20代で発症し、東大病院や専門の精神科病院にも通った。情熱的な加藤忠史先生や、現在の東大病院精神科長である笠井先生のもとを訪れたこともある。しかし、大学病院の精神科は予約をしていても待ち時間が長く、診察は平日に限られ、担当医も曜日ごとに変わる。薬を受け取るための待ち時間も含めると、通院を続けるのは容易ではなかった。 そんな中、たどり着いたのが現在の主治医であるS先生だ。精神科の診察は一

【第15日】言葉のバランスを求めて

今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。 幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。 しかし、一

【第14日】母に映る私、私に映る母

母と私の鏡 夕暮れの柔らかな光がリビングを包み、母はお気に入りの椅子に腰掛けていた。私はキッチンからお茶を淹れて、彼女の隣に座った。 「お母さん、最近どう?」と尋ねると、母は自信満々に微笑んだ。 「とても元気よ。私が認知症になるなんて、ありえないわ」と彼女は言う。その言葉に、胸の奥がざわついた。医師から中度の認知症と診断されているのに、母は頑なにそれを否定する。その確信はどこから来るのだろう。 数日後、母は「歯医者には絶対に行かない」と言い張った。理由を尋ねても、「必

【第11日】エネルギーの海を泳ぐ

エネルギーの海を泳ぐ 私は双極性障害を抱えており、そのおかげで体内には莫大なエネルギーが渦巻いている。このエネルギーをどう活用するかは、私の人生において極めて重要な課題だ。できることなら、その力をポジティブな方向へ導きたい。だが、もし怒りに任せて使ってしまえば、周囲を傷つけ、社会的な信頼を失ってしまうだろう。 しかし、ふと考える。たとえエネルギーをポジティブに使ったとしても、それは本当に良いことなのだろうか。どんなに膨大なエネルギーでも、無限ではない。使い続ければ、いずれ

【第9日】心の牢獄を超えて

牢獄の中の光 6歳の頃、私は家を全焼させる火事を起こしてしまった。それ以来、自分は罪人なのではないかという思いが心に巣食い、いつか刑務所に入れられるのではないかとびくびくしながら生きてきた。また、震災のときに感じた孤独感が、今でも心の奥底に残っている。 時折、冤罪で刑務所に送られたり、災害で一人ぼっちになる自分を想像することがある。もしそんな状況になったとしても、『容疑者Xの献身』の主人公のように、牢屋の天井を見上げながら数学の美しさに心を馳せて生きていきたい。また、記憶

【第8日】消えゆく光の瞬間

昼下がりのオフィスで仕事に追われていると、携帯電話が静かに振動した。画面を見ると、母からの着信だ。普段、昼間は会議や業務で電話に出られないことが多いため、母には夜9時以降に連絡してほしいと伝えてある。だから、この時間帯の電話は何か緊急の用事があるに違いない。 急いで電話に出ると、母の少し沈んだ声が聞こえた。「スマホの右上の数字が19から18に減っていくの。どうしたらいいのかしら」と心配そうに言う。おそらくバッテリー残量のことだろう。私は充電ケーブルが正しく差し込まれていない

【第7日】夢に響く母の声

ある夜、不思議な夢を見た。母が遠くから助けを求めている。涙を流しながら、「自分がどこにいるのかわからない」と訴えるその姿に、胸が締め付けられた。目が覚めたとき、もしあれが自分だったらと考えた。 私は双極性障害を抱え、妄想の中をさまよい、気づけば思いもよらない場所にいることがある。夢の中の母は、未来の自分自身のように感じられた。母は、まさに私の鏡なのだ。 思い返せば、6歳のときに起こした火事や、酒に溺れる亡き父への苦手意識から、家族から逃げ出したかった私は、大学入学と同時に

【第6日】小さな約束が紡ぐ希望の光

秋の夕暮れ、窓から差し込む柔らかな光が部屋を淡く染めている。私は机に向かいながら、ペンを握る手を止め、心の中で静かに問いかけた。 「双極性障害の私と、認知症の母が一緒に暮らすことはできるのだろうか?」 この問いは何度も頭を巡り、不安と希望が交錯する。母との生活は困難を伴うだろう。しかし、だからといって諦めたくはない。私たちが共に生きるために、どんな約束事が必要なのかを考え始めた。 記憶が曖昧になる私たちだからこそ、約束はシンプルでなければならない。私は最終的に三つの約束

【第5日】忘却の中で輝く一瞬を

秋の夕暮れ、静かな公園のベンチに腰を下ろし、風に舞う落ち葉を見つめていた。遠くから子供たちの笑い声が微かに聞こえる。その穏やかな音色に、私はふと母の面影を思い出した。 母は認知症を患っている。彼女の瞳には、今この世界がどのように映っているのだろうか。私自身も双極性障害を抱えており、時折、自分の現実が揺らいでいくのを感じる。病が深まると、現実と幻想の境界が曖昧になり、大切な人や物の存在さえも霞んでしまう。 「いつか自分が自分でなくなる日が来るのだろうか」と、不安が胸をよぎる

【第3日】ハリネズミの叫び

私は双極性障害を抱えているが、ここ数年はうつ症状はなく、軽躁状態が続いている。軽躁状態のとき、時折、大声を出したくなる衝動に駆られる。実際に何度か大声を上げてしまったこともある。 今年の正月、私は母に対して思わず大声を出してしまった。しかし、その理由を思い出すことができない。母は驚き、涙を流しながら「家に帰りたい」と震えていた。その姿に胸が痛んだ。母は自分がどこにいるのか、時間の感覚さえも失っているようだった。最後には、私に土下座をして「帰らせてほしい」と懇願した。 この

【第2日】ミルフィーユのような人生

時折、私は人生はミルフィーユのようだと感じる。何度も生まれ変わり、過去にやり残したことを新たな人生で紡いでいく。その層が重なり合い、深い味わいを生み出すように。 ふと、かつて自殺未遂をした日のことを思い出した。気がつくと、私は精神病院のベッドの上にいた。暴れていたため、手足を拘束されていた。目を開けると、母が静かに私を見守っていた。その瞳には深い悲しみと愛情が宿っていた。 ノーベル賞作家の大江健三郎さんも、同じようなことを語っている。病を乗り越えた彼は、「母がもう一度産ん

【第1日】消えゆく記憶と共に

私と母は、静かに織りなす絆で結ばれている。私は双極性障害を抱え、現実と幻想の狭間を漂う。一方、母は認知症と闘い、記憶の彼方へと消えてゆく。病が進むにつれ、私たちはそれぞれの世界で自分を見失い、家族の存在さえも霞んでいく。 ある日、ふと気づいた。私と母は鏡のようにお互いを映し合っているのではないかと。全体と部分は視点の違いに過ぎず、大きく見るか小さく見るかで同じものを見ているのかもしれない。そう考えると、私と家族は一つの存在であり、切り離せない関係なのだ。 私は決意した。母