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自己対話の難しさ

昨日の夕方、突然「歯応えのあるもの、ばりばりという咀嚼音のなるものが食べたい!」という衝動を抑えられず、近所のスーパーに買いに走った。

まず、日清シスコのフルーツグラノーラとヨーグルト。

おそらく、グラノーラ市場は、カルビーが一番強いのではないかと思われるが、一時期食べ過ぎてしまったせいで、味に飽きてしまった。この日清シスコのグラノーラは、フリーズドライのいちごやマンゴー、ブルーベリーが入っていて、その酸っぱさがアクセントになっていて良い。ケロッグは、コンフレークの量が多すぎるような気がするが、コンフレークが食べたいときは、それがちょうどよい。

次に、店によっては、あったりなかったりするカルビーのポテトデラックス。

こちらは、じゃがりこが平らになったものなのだが、バリバリ食べられるので、気に入っている。

急に咀嚼音のなる、かたいものを食べたくなるのはわたしだけなのかしら、と思い、Googleで検索してみると、衝撃の事実!

原因はストレス。噛むと脳内物質のセロトニンが出るらしいので、それを求めているのだと記事にはあった。(興味のある方は検索してください)

ここ数日、予定通り、タスクをこなすことができず、イライラして自己嫌悪に陥っていた。twitterをやめたことによる離脱症状もあるのかもしれない。

気合いを入れると疲労を感じ、寝込んでしまう。寒いから、暖房をつけると頭痛が起きる。こんな悪循環のなか生きている。無職になって、3か月経過して、これまでどのようにして働いていたのかすら、思い出すことが難しくなってきた。とはいえ、嫌な上司の夢は見るんだよな、やれやれ。

自分自身と向き合うのは、本当に難しい。世界は、自分以外の人が生み出したもので溢れている。それらに気を取られていると、自分が考えていたこと、感じたことを忘れてしまったり、無意識のうちに、他人と自分の考えをすり替えてしまったりする。自分本位、自己中心的なのに、自分のことをよく知らないまま、というのは、パラドックスの極み、という感じがする。

自分は空っぽの器で、周囲によって形作られていく、本当の自分などいない、という説がある。一理あるが、それはそれで危険だ。というのも、そう考えると、すべて周囲の責任、影響による自己表出になってしまうからだ。もちろん、個人にすべての責任を押し付けるのはおかしい。しかし、どんな自分がいるかは、どんな言葉を使って話すか、どのようなふるまいをするかなどは、長い人生の縦軸の時間で、形成されていったものだ。さまざまな人々の影響を受け、反応をして、人々に影響を与えて、「今」に至る。だからこそ、自分の考え方の癖などを把握して、他者と関りを持ちたいと思い始めた。

他人の前に差し出そうとしている自分はどんな人間であるのか、どんな人間でありたいのか、どんな自分を見せたくないのか、どんな自分が漏れてしまいがちなのか、そういったことを言語化できている人とできていない人の差は、結構、大きいのではないだろうか。

理想の自分は、すでに手放してしまったのだけれど、周囲を傷つけず、誰かに傷つけられても粘り強く交渉したり、人付き合いを続けられる人間になりたい、と思う。短期決戦はやめて、長期的な視野を持ちたい。もちろん、話の通じない人もいるので、ときには逃げることも大事だ。自分を守れず、自罰的、自傷的になった先にあるのは崩壊だ。他人を利用したり他人から平気な顔して盗んで、自分が得していれば万事うまくいっていると考えるような人間にだけはなりたくない。

このような記事を書くことで、強制的に自分と向き合うことができる。名文でなくてもいい。自分の思考のプロセスを開示したり、他者の思考のプロセスを見ることが大事なのだ。規模の大小はあれど、経験を共有(シェア)することが人間にとって必要な営みなのだと思う。(わたしは、無自覚に他者との共有を舐めていたと思う)

昔だったら、雑誌や新聞に投書するしかなかったのだけれど、それがすぐにできてしまうインターネットはすごい! と改めて思う。便所の落書きだと言う人もいるが、雑誌や新聞にも便所の落書き程度のことしか書かれていないことだってあるではないか。もちろん、編集者や校閲者のチェックが入っているほうが裏付けがしっかりしていて、レベルが高いことはわかっている。

だからといって、プロの文筆家や有名人だけが書いていればよい、という話ではない。結局、自分を癒せるのは自分だけなのだ。だからこそ、老いも若きも、心のうちにあるわだかまりやざらざらとしたものをどんどん書いて表現すべきなのだ。ネット上に公開しても、誰も読まないかもしれないが、自分は書いて読むのだから、それだけでよいではないか。もしかしたら、ボーナスポイントとして、自分の言葉が、何の接点もない誰かに届くかもしれない。それは掛け値なしに素晴らしい出来事と言える。

噛み応えのある食べ物が食べたくなった、という日記を書くつもりだっただけなのに、話がものすごく展開してしまった。

ここ最近、フォロワーさんが増えたり、過去の記事に「スキ」をつけてくださる方々が増えていて、本当にうれしい。感謝申し上げます。

さて、TOEICの勉強をしようではないか。(ちょいと憂鬱)

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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!