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自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かもわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気付くのだ。 2020/10/21

 あんた、誰? 今日は色々な人の話を聞く仕事が連続していて目眩く感じだったのだけど、こういう仕事は楽しいので何も苦にならないというか、あっという間に時間が過ぎていく。

 昨日に続き乗代雄介『最高の任務』を読んで、読み終わった。糊代雄介とか乗り代雄介とか変換されるこのMacの変換力の低さが若干イラッとするのだけど、こういう生活上のちょっとしたストレスというのを徹底的に排除していくと日々の暮らしが過ごしやすくなるような気がする。

 そういえば、このPCを置いてある部屋の蛍光灯が切れていて、暗い、というのもさっさとどうにかしたほうがいい課題なのだけど、とにかく日中は真面目にお仕事をしていて、しかも忙しいので、何となく放置してしまっている。

 表題作の「最高の任務」は奇しくも「日記」が重要な役割を演じるお話で、「日記」に興味を持ったいま、出会ったのが何となくシンクロニシティ。

 しばらくの間、私の記述はアンネ・フランクやアナイス・ニンよろしく日記の周りを嬉しそうに駆け回っているが、どうもそいつに名をつけたり「あなた」と読んでみたりという文化には、試みこそすれ馴染めなかったようだ。「あなた」に向かって相談事(中略)を持ちかけてみた翌日、こんな風に書いている。(中略)
 昨日の私はバカだった。「あなた」が何を答えてくれるっていうのだろう。何にも答えるはずがない。そんなこと期待するのは、きちんと考える気のない卑怯者って感じがする。だから私は、日記を書く時はいつも「あんた、誰?」から始めることにする。
乗代雄介『最高の任務』P.97 - P.98

 自分との対話的に日記を使うというか、その誰かに呼びかけるように、という発想自体が日記書いてきたのになかったな、ということに気づいたのだけど、言われてみれば「あなた」的なものに相談する体の日記というのもあるよな。まぁ、「「あなた」が何を答えてくれるっていうのだろう。何にも答えるはずがない。」ってのと同様に、他者に答えを求めたところでしょうがなくて、何のために自分の頭がついているんだよということなのだけど。

 母は階段の中ほどから、スマートフォンで勝手に私の写真を撮った。
「やっぱあんた、くやしいけど絵になるわね」
「なんでくやしいの」なおも向けられるレンズに視線をやる。
「それを自分の幸せに使うのが下手だから」
乗代雄介『最高の任務』P.160

 母がふと教育を叔母に任せてしまったと述懐しているシーンもあったけど、この母娘の近くて遠い、でも近い、みたいな距離感みたいなものを感じるシーン。なんかいい。

 自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かもわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気付くのだ。
乗代雄介『最高の任務』P.174

 自分の書いた日記を改めて読むことで、自分に気付くということはあるのかもしれない。それにはある程度の期間も必要なのかもしれないが、今大学生の頃に書いていたブログを読むと趣味の合う他人感覚で読めるんだよなぁ、というのが面白かったのもこの日記を書き始めた一つのきっかけだったりもする。

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