【私はピカソを超えたい】
野球選手を目指すならイチローを超えたいと思うよね。
サッカーなら、本田圭佑さん。
アートは、野球やサッカーのようにルールが明確にある分野ではない。
報われやすい方法、基礎練が決まっているわけではない。
才能だけでも、努力だけでも突き抜ける事は難しい。
スポーツとアートは比べられる分野ではないけど、
アートだって、歴史や投資マーケットには明確なルールがある。ピカソ、アンディウォーホル、草間彌生さん、村上隆さん達はそこで勝ってきた人達だ。
自分本位の作品だけを作ればいい。アートマーケット・歴史的価値で戦わない。それは自由。
でも、せっかくアーティストなら
ピカソを超えたいって思いでやり抜けばいいのではないか。
野球選手になりたいなら、イチローとかの基礎練徹底的に真似するし、本気で越える気でいる。その意識こそが、プロだと思う。
果たして、現代のアーティスト達は、ピカソを歴史的・藝術的・投資マーケット的意味で本気で超えられないのだろうか。
現代における、真のメディチ家は本当にいないのか?
今の時代、資本主義に狂った人達だけなのか?
本気で私達は「過去」を超えられ「ない」のだろうか?
「ない」を証明する事は難しい。
「ある」を証明する方が簡単だ。なぜなら一つの「ある」例を探せば証明できるから。
だが、「ない」を証明する事は難しい。
なぜなら、一つ「ない」を見つけても、ほかに
「ない」事例はいくらでも存在するから。それらを全て見つけなくてはならないから。
でき「ない」、超えられ「ない」。実は、証明する事が難しい。
ならば、「ある」方に賭けてみたい。
できる、超えられる。と。
今私は様々な方達と接している。だが、できると強く信じていると感じられる方はあまり見かけない。信じてない。闘争心を燃やす分野ではないかもしれない。だが、生のエネルギーを感じられない。
諦めている。
だから、すぐに挑戦者を嘲笑う。
私はピカソを超えたい。
超えられ「ない」理由は、証明されてないでしょ?
確率は低い?
そもそも確率、統計論はマクロでしか役に立たないので、国家や地球規模の政策を考える人が力を入れる分野だ。
少なくとも、アート、アーティスト個人のようなミクロな世界に確率云々を持ち込むべきではない。
過去のデータに頼るのではなく、
新しくデータをどんどん私達は築いていくべきだと思う。
確率論では語れないからね。
つらつらと書いたけど、
私はピカソを超えたい。