「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?
本屋に山積みになっていて、気になったので読んでみました〜!認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策の本です
「伝えたいことがうまく伝わらない」原因は、この「当たり前」の違いを越えることができなかったり、認知の力がうまく働かなかったりすることにある
私たち人間は、相手の話した内容をそのまま脳にインプットするわけではないから
言語は意図のすべてをそのまま表現できるわけではない、つねに受け取り手によって解釈され、解釈されて初めて意味あることとして伝わる
思いと解釈が一致しているかどうかは、話し手にも聞き手にもわからない
「相手の話がわかる」ということを、段階を踏んで表現すると、
相手の考えていることが
言語によってあなたに伝えられ
あなたが理解をすること
といえる
「スキーマ」
一人ひとりの学びや経験、育ってきた環境は違いますし、仮にまったく同じ環境で育ち経験をしたとしても、それぞれの興味関心が異なれば、形成される「枠組み」が変わってしまうから
ロフタス教授
「記憶とは大きなボウルになみなみ入った水に垂らした、1滴のミルクのようなもの」
人間の認知能力というもののあやふやさを理解する
私たちの視点は、つねに偏っている
「代表性バイアス」
その人の国や人種、同じ思想情条の人すべてをテロリストだと考えてしまう
代表的な事例をすべてにあてはめて考える現象を「過剰一般化」という
「人は忘れるものだ」ということだけでも記憶にとどめておかなければいけない
スローマン教授
私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかない
コンビニで1個600円程度で購入できる16GBのUSBメモリですら、人間の16倍の記憶容量がある
「神聖な価値観」とは、「どのように行動するべきかの価値観」であり、「物事を単純化するためのツール」
「知識の錯誤」
スローマン教授は「多くの人は、自分の中にある知識と外にある知識の区別があまりついていない」と言う
「これは『確認してください」という内容のものではないよね」
と伝えることも必要。互いには見えない心の内を擦り合わせていくことで、「相手の立場に立つ」ことに近づいていける
感情はときに、優れた「直観」を反映するものである。直観のことをギーゲレンツァーは「ガット・フィーリング」と呼んでいる。日本語でいうなら「腹で感じる直観」
「現場でこういう工夫をしたらうまくいったので、同じことをしてみませんか?」という言い方をしてみる。すると、「この人も、同じ悩みを抱えていたんだな」と、土俵が同じになる。このときすでに感情は動いている
説明が上手な人は、「具体と抽象を行き来している」
「説明が抽象的だ」というのは、しばしば「わかりにくい」とセットで使われますが、言葉による説明は、それ自体がそもそも抽象的です。
抽象化し、ある種の表象にしておくことで、記憶として扱いやすくし、さらに様々な文脈で使用できるよう拡張可能にしている
抽象的な言葉が、「雪景色」などのように、相手の頭の中でエラーなく具体的なイメージと結びつけることができるのか、正しくカテゴリーとして認識されているのかが、「説明のわかりやすさ」につながっている
「相手がどう理解するか」に配慮しながら、聞いている人が納得できるように、抽象と具体を行き来して話を進めることが必要
まずは、「相手といい関係性を築くこと」
コミュニケーションのそもそものベースとなる言頼関係を築くこと
「直観」は天から降ってくるものではなく、そこへ向かってたゆまず歩き続ける中でやっと手に入れられるもの
人間は「流暢性バイアス」も持っている。相手が流暢に話していると、内容が薄くても、ときには間違っていても、信用してしまうというバイアス
人間の認知能力を元にして分かりやすくコミュニケーションを説明してくれ、コツも解説されています。AIが間違ったことを流暢に説明するのを信用してしまうのも、納得できます。コミュニケーションのコツを学ぶのに、とても参考になる1冊でおすすめです
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