すべてを知ったうえで、自分の進むべき道を決める~すべてを知ることよりも大事なこと~
意見を言うときに使う知識
"ディベート"をご存知でしょうか。
ある問題提起に対して対立意見をぶつけ合うこと。
そのように解釈しています。
そのように、
自分がある行動をするときというのは、
ある一定の知識を使うという事が通常あると思うんですね。
その知識がどれぐらいの範囲の時に、
その行動や意見を言うのかという内容です。
すべてを知るとは
今回の題名である、
『すべてを知ったうえで、自分の進むべき道を決める』
というのは、
東野圭吾氏の小説『真夏の方程式』が福山雅治氏主演で映画化され、
その劇中で登場する湯川博士の台詞から引用したもの。
ある対立意見を言うときには、
相手の意見の背景を認識したうえで言うべき、
双方の意見の背景を認識したうえで自分の意見を主張するという、
湯川氏の主張です。
この主張に、私も同意しています。
一方のみの認識同氏を戦わせたとしても、
そのベースは『自分がそうしたい』という自分の願望になってしまうと思うんですね。
例えば、
Aという行動と、Bという行動は、
Aは○○という点で優れてはいるが、
Bは○○という点で劣っている。
しかし長期的に見るとBの方が有益に思われるが、
まずは短期的な成果を得るためにAという行動をとる。
願望をいったん置いておく
自分にとって身近な問題であればあるほど、
行動の根拠には自分の願望が影響すると思っています。
願望というものの特徴として、
自分が一方的にみている世界に向けたベクトルを、
より一層強化するものだと思っていて、
それとは逆に世界から自分を見るという視点を、
弱くするものだと考えています。
なので、
すべてを知ることを邪魔するものの要素の一つとして、
願望というものがあると思っているので、
それをいったん排除するという事が、
自分の進むべき道だったり、行動するための情報を得るときには重要なんじゃないかなあと思っています。
すべてを知ることは不可能~すべてを知ることよりも大事なこと~
ただ、
実際は、すべてを知ることなんていうのは不可能で、
一人の人が取れる情報量というのには限界があるんだと思うんですね。
すべてを知ったうえで・・・と言いつつ、
すべてを知ることは不可能というのでは本末転倒ですが、
実際に自分が何を知っていて、自分が何を知らないのか。
まずは、そのことを知っているかというのが重要なんじゃないかなあと感じています。
そもそもそれを知らないと、
自分が何を知る必要があるのかさえも分からないからです。
今回は『すべてを知ったうえで、自分の進むべき道を決める~すべてを知ることよりも大事なこと~』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/~~~