
リスペクトと依存の違い~情報のインプットを自分の意志でコントロールする~
今回は、二次情報の重さに行動が左右されるというお話です。
前回一次情報と二次情報というお話をさせていただきました。
今回はそれに関連した内容で、
自分がリスペクトしすぎている人がいると、その二次情報の価値が跳ね上がるというお話です。
もう、それが結論です。
と言ってしまうと終わってしまうので、
少しだけ掘っていきたいと思います。
誰かをリスペクトすること自体は大事なことだと思います。
自分に志があって、その道の神様みたいな存在。
あるいは近い年でも熱心に取り組んでいる人。
そんな人に対して尊敬の意を抱きます。いわゆるリスペクトします。
リスペクトとは
先ほど尊敬の意を抱くと書きましたが、
辞書などによれば、
「敬意を表す、尊敬の気持ちを表す」
だそうです。
ここでいう敬意というのは、
誰かと比べて、誰かよりもすごいからその人はスゴイということではなくて、「ありのままのその人」に敬意を抱くというニュアンスだと解釈しています。
リスペクトと依存の違い
忘れてはいけないのは、
自分に対するリスペクトだと思っています。
相手をリスペクトするという気持ちの中に、
「自分よりも」というニュアンスが入ってしまうと、
相手が言ったことが、自分の意見を凌駕してしまう、
要はそのまま自分の意見になってしまうという危険性をはらんでいると思うからです。
ここでそれを危険性と表現したのは、
人はそれが習慣になると、
自分で考えることを止めてしまうからです。
相手が言ったことこそが自分の意見になってしまうと、
自分一人では何もできなくなってしまう。
厳密にはそれはリスペクトではなく、依存です。
あくまで相手は相手、自分は自分。
比べるという価値観を持ち込むことで、
依存にならないように気を付けています。
一時情報と二次情報に分ける
「これをした方がいい。」
実は、その中身としては、
「これ」という事実と、
「した方がいい」という解釈があります。
一つの文脈の中にも、一次情報と二次情報が混在していることに注意すべきと思っています。それを自分の中にインプットするとき、依存寄りのリスペクトの感情が混在することで、その情報に対する重要度(重要性に対する感度)が増すので、振り分けが困難になりそのまま受け入れてしまう。
別にそれがあっているか、間違っているかは別として、自分に最適かそうでないかの判断を他人にゆだねるのは違うんじゃないかな~と感じています。相手に言われてやっていることも、結局はそれを決めているのは自分なので。
自分で情報をコントロールする力、情報に対するリテラシーを持つことは、自分の行動を最適化するためにも大切かもしれません。
今回は「リスペクトと依存の違い~情報のインプットを自分の意志でコントロールする~」という内容で書かせていただきました。
また、あした(^^)/~~~