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"才能"とは相対的な価値観であると思う理由〜あなたは誰かの才能の価値を上げている〜

今日も一日お疲れ様です!
では『今日のnote』始めていきたいと思います。

才能の解釈

みなさんは才能と聞いてどのような印象を感じるでしょうか?

持って生まれた性質?
生まれつきの能力?
他人よりも優れた技能?

いずれにしても、
他人と比べた時にその能力が優れていることという意味合いで解釈されている方が多いんじゃないかなぁと思っています。

他人と比べる

よく、『他人と比べない』というワードが自己啓発本などに書かれているのをお見かけしますが、才能に関しては『他人と比べない』とわからないんじゃないかなぁと思っています。

だって、
男子100m走の世界記録保持者のウサイン・ボルト氏だって、他に100mを走る人がいるから記録が成立しているわけで、世界に競技者が彼一人だけだとしたら、それは才能とはみなされないかもしれません。

MLBのイチロー選手も、
世界で野球を競技しているのが彼一人だったとしたら、そもそも試合もできません。

環境が本当に大事

才能が才能として認識されるためには、
環境因子がかなり大事で、その中でも他の誰かがいることで『他人と比べる』という状況が成立していることが最も重要だと思うんですね。

だから、逆に言えばあなたは誰かの才能を才能として認識するための立役者の一人ということです。
それは世界中のすべての人に言えることだと思っています。

あなたは誰かの才能の価値を上げている

レスリングの元競技者である吉田沙保里さんは、『霊長類最強』という異名がついているほど現役時代の負けが極端に少ない選手として有名です。

しかし、全人類が70億人いるという背景があってこその強さであり、国民栄誉賞であり、世界が100人の村だったとしたらそこまでニュースになっていないと思うんですね。

全人類という背景に属している私たちは、結果的に彼女の強さの修飾語になり、その価値を上げているというわけです。

誰かと比べることでわかること

誰かと比べること自体は良くも悪くもなくて、それをしてどうしたいのかの方が重要だと思うんですね。

今回はそれをすることで相対的に才能というものが浮かび上がる、そしてその背景にあるものはその才能の価値そのものになるという解釈を書かせていただきました^ ^

というわけで今回は、
『"才能"とは相対的な価値観であると思う理由〜あなたは誰かの才能の価値を上げている〜』について書かせていただきました^ ^

また、あしたね〜😊✨


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