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『自分にできることをやる「しか」できない』という言葉の違和感について思うこと

こんにちは。
Ryosukeです。

今回は『自分にできることをやる「しか」ない』という言葉の違和感について思うこと
について書いていきたいと思います。

荒川静香さんの『募金リレー』で感じたこと

先日の24時間テレビでは、
『募金リレー』と題して、
1組10km、計100kmを走ると言う企画があり、
9名のアスリートの方、
2名のジャニーズの方が
「想い」を繋ぎました。

その中でも、
2006年トリノ五輪、フィギュアスケート金メダリストの荒川静香さんが、
リレーに向けたドキュメンタリーで語られていた言葉が心に残ったので、シェアしていきたいと思います。

自分にできることをやる「しか」できない

荒川静香さんの故郷は、
東日本大震災で甚大な被害を受けました。
被害を受けた直後、
荒川さんは実家近くを訪れた際、
その惨状を見て、
自分1人の力では、どうする事も出来ないと、
自分の力の小ささを感じたそうです。

そこで荒川さんは、
『自分には、自分にできることをやる「しか」できない』と、被災した子供たちとアイスショーを開催したり、衣装のチャリティーオークションを行ったり、多くの活動を続けているそうです。

違和感

なぜ、
それに私が違和感を感じたのかと言うと、

『自分にできることをする』と、
『しかできない』の、
一見対照的な表現が
同時に聞こえてきたからだと感じました。

実際に荒川さんは、
荒川さんができること、
荒川さんだからこそできることを、
精一杯されていると感じています。

それなのに、
『しかできない』と仰るのは、
本当に叶えたいことは、
もっともっと大きくて、
それは果てしなく大きくて、
自分の力では叶えられないと言うことだと、
感じました。

『できない』から目を背けない

多くは、
目の前の現実に対して、
自分の役割を判断して、
その仕事量に自分を当てはめるか、
自分の能力に仕事を当てはめるかをすると思います。

しかし、荒川さんは、
目の前の現実と、
自分が叶えたいことのギャップを観て、
そのギャップを埋めたいけれど、
自分の力では埋められないと言う、
自分の力が及ばない部分まで、
しっかりと向き合っていると、
感じました。

心の強い方だな〜と、
感じました。

「現実」と「能力」と「願い」を分ける

無理なことは無理かもしれません。
それは自分が絶望する気持ちに、
真正面から向き合えない弱さをしっているからこその、無意識的な思考かもしれません。

でも、一つ、
その上の願いを持ち続けると言うのは、
きっとそれはどこかの誰かが聞いていて、
どこかの誰かと力を合わせることで、
少しずつ近づけるものかもしれません。

金メダリストと言う、
膨大な時間と、
果てしない努力の果てに、
自分の願いを叶えた方が
できる思考なのかもしれませんが、

それをこうして解釈してみて、
自分の中に落とし込む事も、
「想い」をつなげることになるのだと、
勝手に解釈しています。


今回は【『自分にできることをやる「しか」できない』という言葉の違和感について思うこと。】と言うテーマで書かせていただきました。

それでは、
今回もご覧いただきありがとうございました😊

また、あしたʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ

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