いま見ているものは見ようとしているもの〜見ようとしなければ、いつまでも見えない〜
いま見ているものには、すでに解釈が入っている
普段、何気なくモノを見たり聞いたりしているつもりでも、自分のスタンスというフィルターを通して自分の脳にインプットしていると思っています。
そのものをありのまま、そのまま受け入れると言う事は、意外と難しいということです。
つまり、すでに脳にインプットされる前から、自分の解釈が入っているということです。
フィルター、スタンスを形作るものとは
それは今まで見たり聞いたりしてきたものの中で、自分にとって有効、有用と感じたものの集合体。
それを自分の中での常識と言っても過言では無いと思っていますが、それはつまりあらゆるものごとをX軸とY軸のグラフに書き記すとしたら、その2線が交わる部分に近いほど常識に近いということだと思っています。
しかしそのグラフは、遭遇するものごとやそれに対する解釈が人によって違うように、2線が交わる部分にある出来事というのは、人によって違う。
すなわち常識というのは人によって微妙に違うんです。
そのように、その人その人の常識から形作られたスタンスやフィルターによって、外部の物事はある程度解釈された状態で脳内に飛び込んでくるわけですが、となるとその出来事で解釈可能な別の事象というのは既に棄却されてしまっているわけです。
食べず嫌いを克服するプロセス
食べず嫌いをいつまでも食べず嫌いと思っていても、ふと食べてみたら意外と美味しかった、いやめちゃくちゃうまい‼︎のような事です。
その『ふと食べてみたら』が重要で、嫌いと決めつけていたとしても意外と捉え方を変えようとしたら、案外違うかもしれない。
そう、見ようとしなければいつまで経っても見えないわけです。
いつまでも好物だけを見ていて、それ以外を嫌いと決めつけていたとしても、それは本当の好物を見ようとしていないともとれると考えています。
つまり、これまで捉えていたあらゆるものは、自分のフィルターを通して脳内に入ってきたもの。そしてそれの平均に近い解釈たちが常識。
という事は、この世界で見えていないものは、本当に沢山あると言うことが容易に想像できるのは私だけでしょうか。
もうひとつの解釈
そして、ここで身もふたもない話をしますが、そもそも解釈なんてものは本来は存在せず、そこにはそれ(できごと)があるだけと言う、なんとも面白くない事を想像したりしますが、それがおそらく真実で、人間がそこにそれを創造し、想像するので、そのような世界ができている。
そんな事を、夜寝る前に妄想していました^ ^
また、あした^ ^✨
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