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経営者の父から息子への手紙

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経営者である私から、息子たちへ。手紙を書く感覚で日々、感じたことを書いています。
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自動翻訳よりも、生身の人間同士が語り合うことの大切さ。 - 2024年160回目の稽古

かつて、大きな問題を解決するために、アメリカの代理店に行ったことがある。最初は通訳を通して交渉していたのだが、相手の社長が、下手でもいいから自分でしゃべれと言い出して、夜通しかかって原稿を考えたことがあった。 そうすると、それまで通訳を通じてやっていた交渉と内容は同じだったにも関わらず、すんなり交渉が進んだだけでなく、翌日その社長は僕一人を連れて、ニューヨーク観光へ連れて行ってくれた。 周りに日本人が一人もいない中、一日中、僕はその社長さんと英語で話をした。たった一日のこ

いよいよ品質保証課で受け入れ検査を行うことになりました。

いよいよ品質保証課で受け入れ検査を行うことになり、ライブファクトリーに人が集まってきました。会社には、普段と少し違う空気が漂っていて、昨日は少し気疲れしてしまいました。 とはいえ、製造業から技術商社へ業態転換をしようと中期計画を立ててから、足掛け4年、いろんな改革をしてきましたが、これからが総仕上げだと思うと、万感の思いです。 これからは大量生産ではなく、必要なものを必要なだけ使う時代です。その時代にあった会社の在り方を模索していった結果、技術商社というイメージが浮かんで

可能性を閉じ込めているのは、自分自身だということを、常に忘れないでおこう。

3ヶ月前にアキレス腱を切ってからというもの、ずっと稽古を休んでいた銀行の担当者が柔道場にやってきた。 まだ十分に足首が動かないということだったけれど、柔道着に袖を通して、みんなと一緒に準備運動をしたり、稽古をながめたりしている姿をみて、ちょっと感動した。 実際、半身不随になっても、四国を歩きへんろしながら、リハビリを続けて、車も乗れるようになった人を、僕は知っている。 人間の可能性というものは、僕たちの理解を超えている。 もうダメだと思っていたことが、再びできるように

それ本当に時間の節約になってますか?効率より大事なものを思い出そう

時間を節約したつもりが、不良が流出してしまうことに! 75期は、ヒューマンエラーによる不良の流出が続いた一年でした。たとえば、先月発生した、ゲートカット忘れの不良では、全数外観検査をしていたにも関わらず、不良が流出してしまいました。 作業要領書を確認すると、この製品はまず外観検査をしてから、ゲートカットの加工をして、その加工の出来栄えを確認して、梱包する手順になっていました。なので、ゲートカットを忘れていても、はじめの外観検査がOKならば、そのまま梱包されてしまうことにな

家計のバランスシートを作れば、お金についての将来設計が簡単にできる

会社にもバランスシートがあるように、自分の家計について、バランスシートを作ってみてはどうだろう。 左側の資産(図の緑の部分)には、手元の現金、預金のほか、将来もらえる保険や年金、換金できる有価証券(株式など)、それから持ち家や土地を持っている人は固定資産の評価額を入れる。 右側の負債(図の赤の部分)には、借金はもちろん、住宅などローンの残債の他に、将来使う予定のお金、例えば、教育資金や老後資金、車の購入資金、自宅の修繕費などを入れておく。そうすることで、これからどれくらい

「変わらないこと」と「変わること」は同じだ!世阿弥や芭蕉が提唱した不易流行の教え

17年前、社長のバトンを受け取った時に、会社のスローガンを変えました。 「Feel the heart   ー  お客様の笑顔のために、自分を変える力」 そして僕はそのスローガンの説明として、「変わらないために、変わり続けよう」という言葉も添えました。 最近になって、室町時代に能役者として活躍した世阿弥や江戸時代の松尾芭蕉も、不易流行という言葉を使って、同じ方向を目指していたのを知って、驚きました。 不易とは、変わらないこと。流行とは、変わっていくことです。変わらない

負け方の身についた人間こそ、人の痛みが分かるー柔道の師匠が教えてくれたこと

女性や白帯さんと寝技の乱取りをするとき、抑えられる側のときには、手を使わないことにしている。そうすると、かなりの確率で、こちら側は「負ける」ことになる。彼らの稽古日誌には、勝てた喜びが綴ってあって、読んでいて嬉しくなる。 僕は、相田みつをの詩が好きだ。 僕が通っていた町道場に、この相田みつをの「受身」の詩が掲げてあった。この詩をここに掲げた師匠は、どんな思いだったのだろうか。 師匠は、心から柔道を愛していた。そして弟子や、子どもたちを愛していた。完全な人間など、この世に

他人のSNSはバズって見える。だから僕たちはもっと「井の中の蛙」になっていい

テレビ、そしてスマホのニュースアプリやSNS。僕たちは毎日情報の海に溺れている。 かつて、国民の「しあわせ度」が世界一だったブータンも、今やスマホが普及して、世界にはもっと裕福な国があることを知って、「しあわせな国」ではなくなってしまったという。 世の中には、知らなければ良かったということがある。となりの芝は青い。現代風に言えば、他人のSNSはバズって見える。そして、まわりには、年収の高い、もっといい会社があると信じ込み、長年勤めた会社であっても平気でやめてしまう。 阪

追いかけなければ、幸せは自然と向こうからやってくる

寝よう寝ようとすれば、不思議に眠れない。お金が欲しい欲しいと思えば、貯まらない。でも、なにごとも、追いかけなければ、自然と向こうからやってくる。 しあわせって、そういうものだと思う。一生懸命はたらいていると、気がつくと、こんなにしあわせでいいんだろうかと、ふと思うことがある。 もっと欲しいと、欲張ればキリがない。どんどん欲しくなる。そして際限もなくモノが増えていく。 ぼくは、小欲知足(しょうよくちそく)という言葉が好きだ。「足を知る」ということは、限られた富を分け合うよ

スマホのアプリや通知を減らしたら、大切な人と過ごせる時間が増えた

スマホがなかった時代の暮らしを想像してみる。 レコードを聞いていた。絵を描いていた。本を読んでいた。友だちとおしゃべりをしていた。いろんな光景が思い浮かぶ。 いったいスマホは、僕たちに何を与えてくれたのか。 スマホも本来、洗濯機や冷蔵庫のように、生活を便利にして、空いた時間を他のことに使えるようになるための「道具」のはずが、逆に時間を拘束してしまうものになってはいないか。 アプリを減らしてみた。通知も減らして、必要なものだけにした。SNSのフォロワーも減らして、本当に

世の中はニセモノだらけ。だから自分の感覚をもっと大切にしよう

広告につられて、ニセモノばかり消費するのではなく、他人の意見に惑わされないで、自分の感覚をもっと信じよう。 広告を信じてよかった試しがない 新聞広告に掲載されている本を読んでみて、これはよかったという本に出会ったことがない。同じように、書店に平積みになっている本や、ネットに出てくる「おすすめの本」の中にも、琴線に触れるようなものがない。なぜだろうか。 良いものは、自然と売れるから、わざわざ広告する必要がない。企業も、人も同じだ。だから駅や新聞にやたら広告を出しているよう

何かを捨てると新しい世界が見えてくる。だからやめる勇気を持とう

息を吐けば自然と吸えるように、何かを捨てる勇気を持てば、そこには、あたらしい世界が自然と広がってくる。 捨てることの難しさ長年続けてきたことをやめたり、長年持っていたものを捨てることは、何よりむずかしい。何かをはじめたり、買うことのほうが、はるかに簡単だろう。 会社でも、今までの苦労が水の泡になるような気がして、シーラカンスのような古い事業をずるずると続けてしまったりする。そのうち、会社全体にそうした「ゴミ」事業がたまっていって、利益が減り、ついには会社全体が立ち行かなく

ゆきづまったとき、横着せず、ひと手間かけるだけで、道は必ず開けてくる

何かにゆきづまったときには、横着をせず、ひと手間をかけたり、工夫をしてみよう。そうすれば、きっと道は開けてくる。 横着しないで、ひと手間かける毎日たくさんのラジコン部品を発送している。過去、品番間違いがあったので、今は、手間をかけて、同じ行を3回見直している。急いでいるからと、横着をして、確認を減らすとミスになる。 また、今まで、ネジやナットは20個200円で販売してきた。本当にお客様は、20個も必要なのだろうか。それに、仕入れがいくら安いからとって、単価が0.1円って、

水が入れ物に沿って形を変えるように、白衣を着れば心も美しくなる

コップに入れた水が「入れ物」に沿ってその形を自在に変えていくように、その人のこころも、着ている服によって良くもなり、悪くもなり、変わっていくのだと僕は思う。 白い道着へのこだわり一日、いろんなことがあっても、人生でどんなにつらいことがあっても、柔道着を着て畳に立つと、こころが楽になる。 空手、遍路、滝行、石鎚山、そして柔道と、僕は白衣(白い道着)にこだわってきた。 白衣を着ると、心がひきしまる。「過去はゴミだ」と言った人がいた。白衣を着ると、今までの自分が全部捨てられて