昭和45年
1、
前に、コカコーラのキャッシュバックキャンペーンのことを書いたが、それは昭和45年のことだ。中学の入学後から始まったとぼくは記憶しているのだが、それが正しければ、そのキャンペーンはその年の4月から始まったことになる。
この記事に書いているコカコーラミニボトルのキーホルダーだが、十数年ほど前に、実家で見かけたことがある。実家にあるぼくのコレクション入れの中に入っていたのだ。
その写真をここに載せようと思い、先日実家に探しに行った。しかし、どこを探しても見つからなかった。
母が数年前から、終活と称していろんな物を捨てていっているのだが、その中に入っていたのかもしれない。
2、
さて昭和45年。同じ時期に流行っていたものに、アメリカンクラッカーがある。一本の紐の両端に硬質のプラスチックの球が一つずつ付いている玩具だった。二つ繋がったサクランボを大きくしたような形だ。
ひもの中央を親指と人差し指でつまみ、手を振って球同士を上下で衝突させ、「カチカチ」いう音を立てる単純な物だったが、なぜかこれが流行っていた。
これも実家にあると思って探してみたが、見つからなかった。きっとこれも、終活の犠牲になったのだろう。
3、
昭和45年といえば、よど号ハイジャック事件があった。犯人たちはいったい何がやりたかったのだろう。地上の楽園に行きたいのなら、あんな目立ったことをやらずに、密航なり何なりして行けばよかったと思うのだが。ああいうことをやることで、英雄になれるとでも思ったのだろうか。
その後、『犯人たちは北で厄介者扱いされている』と、何かの本で読んだことがある。結局彼らは英雄ではなく、厄介者になったわけだ。何が「我々はあしたのジョーである」だ。
その年、三島由紀夫の割腹自殺もあったし、頭がいいといわれる人の考えることは、さっぱりわからん。