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灯台 is tou-shin-dai(自分を探してる人へ)
世の中のマジョリティーは、競争社会で出来ている。
競争社会とは、競争で勝つことで、集団での立ち位置を獲得していけるシステムだ。
そんな世界で、負け過ぎると、失敗が続くと、
自分が見えなくなってくる。
頭の中のイメージが、ネガティブで埋め尽くされる。
だから、自分にとっての「灯台」を求めて心が放浪する時間が長くなってくる。
そんな状態で悩んでいる人へ
「灯台」
見つかりましたか?
世の中、それっぽいものは多いと思いますけど、本当にそれがあなたにとっての「灯台」ですか?
恐らく、「まさにこれ!」
というものは、なかなか無いのではないでしょうか?
まあ、そもそも、これと言ってピンと来るものが無いから、心が放浪しているのかもしれませんが(笑)
でもね、案外、逆かもしれませんよ?
自分の回りに、「ピンと来るもの」が無いのではなく、
自分の「ピンと来た!」という感覚を、知らないうちに否定しているだけかもしれませんよ。
あなたが、本当に求めているのは、
「灯台」
ですか?
「灯台」という、自分の「外」にある助け船を求めているのですか?
本当は、自分の「ピンと来た」と言う感覚を信頼する勇気が、少し不足しているだけなのかもしれませんよ?
自己否定の強い人は、特に、自分の直感に否定的に成りがちだったりします。
そういう人って、よく、「自分には「芯」がない」と感じ、自分の「芯」の代わりに、自分以外の存在による支えを求めて不安定な日々を送っていることが多い気がします。
でもね、本当は、自分には「芯」が無いのでは無いのだと思います。
本当は、あるべき「芯」を失っているのではなく、
自分自信を認める
(自分に「シン」があることを認める)
という、実は「調子の良いとき」の自分なら無意識にやっているワンクッションを忘れてしまっているだけなのだと思います。
だから、
自分に「シン」が無いから、「灯台」が必要だと思うのは、少し思い違いなのかもしれません。
そもそも、自分が目を向けている「灯台(トウダイ)」は、実は、自己否定を繰り返しているうちに、「シン」を抜かしてしまった「等身大(トウ-シン-ダイ)」の自分の脱け殻なのではないでしょうか?
本当は、
無償で「トウシンダイ(等身大)」の「自分」を認めてあげる。
ということが、「灯台」を見失った自分の心の目的地なのかもしれません。
どうでしょうか?