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「大丈夫、だいじょうぶ」

おそらく私は今、焦っている。

「やりたいこと」と「やるべきこと」。
どちらも十分な時間が取れなくて、とても歯がゆいのだ。


永遠に続く50m走


特に誰かと競い合ってはいないけれど、
永遠に続く50m走のような感覚。

目標を決めて、走り出したはいいけれど
想像以上に自分の足が遅く、体力も落ちていて
短距離なのに、なかなかゴールに辿り着かない。

ようやく目の前にゴールテープが見えて
それをゴールしたら、終わり。
…ではなく
また50m先に新しいゴールテープがあって…。
目の前に、幾重にもなったたくさんのゴールテープが見えているのに
思うように前に進まず、気が遠くなっている。


“ひとつ”のやるべきこと。


まず一つ。
やるべきことがあるのに
その一つがスムーズにうまくいかない時

「このままだと、いつまでかかってしまうのだろう」とか
「少しずつでもいいから同時進行しておいた方がいいかな…」など

まさに今、取り組んでいるにも関わらず
“不安”の方が勝ってしまう時があって、集中力や活力を蝕んでいく。

そうすると

別の角度を探したり
他のことに手をつけようとしてしまうことがある。

…そんなことを考えているうちに、せっせとやるべきことをこなしたい。
そうすれば、次のゴールテープに向かって進めるのに。


どうしてこうも、焦ると
ただバタバタとするだけで、何も捗らないのだろう。


「大丈夫、大丈夫。」


そういう時。
私はいつも同じ順序で思い出す言葉がある。

まずは
「急がば回れ」

そのあとに
「大丈夫、大丈夫」

その次に
「焦らない、焦らない」


…この2番目の「大丈夫、大丈夫」の“声のトーン”と“言い方”は
私の“お守り”のようなものだ。

きっかけは、細田守監督の映画『おおかみこどもの雨と雪』。
私はこの映画がとても好きだ。


映画の中で
子供である“雨”という名前の男の子が、怖い思いをした時や、不安になった時

母に

「“大丈夫”して」と言う。

母は頭を優しく撫でながら
「大丈夫、大丈夫。」と言ってあげる。

「もう一回“大丈夫”して」

「大丈夫、大丈夫。」

…というシーンがある。


優しくて
穏やかで
落ち着いていて
いつもより少しだけ低めの声で言う「大丈夫」。


初めてこの場面を見た時
母が子供に与える安心感の温かさに、私自身も一気に小さな子供に戻ってしまいそうな、大きな愛情に包まれたような気がした。

ここでいう“大丈夫”とは

頭を撫でてもらうことや
「大丈夫」という言葉をかけてもらうことだけではなく

「今すぐ、安心感をください」というような意味に感じる。


…それ以降、心の中にその場面を取り込み

自分が小さな子供のように、不安が大きくなった時には
「大丈夫、大丈夫」のシーンを思い出し
その“声のトーン”のままに
「大丈夫」という言葉を頭の中で流すことがある。


そしていつからか、「大丈夫」の他に
「焦らない」「なんとかなる」という言葉も自然と流れるようになった。


自分の中に、“いつでも安心感を与えてくれる存在”があるかのように、少し落ち着く。

いくつ歳を重ねても
怖いと思うことや、不安になることはあるから。


いつか私自身がこの言葉を、小さな子供たちに伝え、安心感を与えられるようになりたい。

でも、その時もやはり、私の中には
映画に出てくるこの“母のような言葉”がいつもあるようにしておきたい。



…今日はどうにも
「やりたいこと」も「やるべきこと」も捗らない日だ。

何か一つだけ。どちらかを達成しよう。


焦らない。
大丈夫。
なんとかなる。


元気な日に、今日の分も頑張れたらいいな。



2024.8.21

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